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2005年02月13日

見てないと思ったら大間違いですよ高木君。

kijologo.jpg当サイト管理人の中学時代からの友人に、高木登(本名)というのがいます。
ジャニーズのなんとかってグループのドラマの脚本担当だったり、なんとかっていう劇団の座付作家だったり、いつだったかに公開されたなんとかって映画の脚本担当だったりなど、幅広く活躍されている、才能に溢れた作家センセイであります。
正月早々年賀状で「オレはもう死ぬかもしれない」とか書いてよこしたかと思えば、「ジャ○ーズ系のビデオはやたら売れるのでありがたい」などとあまりにも俗すぎるメールを送ってきたりなど、正に八面六臂に大活躍な彼です。

中学時代、彼とはよく遊んだもんです。映画観に行ったり、人生ゲームにふけったりしたもんです。
興に乗りすぎて彼の家の2Fから落ちたときについた傷跡が、未だにワタシの全身のそこかしこに残ってます。
また自転車に乗れなかった彼との行動は常に徒歩で、映画観に行く時などは江東区は門前仲町から中央区築地、日比谷までセッセと歩いたもんです。嗚呼、オレも若かった。もう乗れるようになったのか36歳。

そんな彼、なんだか最近はWebサイトなども持ってたりする(個人のってわけじゃないみたいですが)ようで、さらにそこに「日記」に、あろうことかワタクシに関する記述を発見してしまいました。しかも2回も。
サイトそのもののアドレスはhttp://www15.ocn.ne.jp/~kijou/index.htmlこちらになります。この中にある、彼の2月8日&11日分としての記述です。

その一部を無断転載しつつ。


ボンクラ中学生だった頃、彼とyoshitoと三人で、旧文芸坐に「少林寺」と「燃えよドラゴン」の二本立てを見に行ったのは一生の思い出です。あれは我々にとって「桃園の誓い」のようなものでした。

・・・はいはい、そういやその三人でもって行ったですね文芸座。あれは確か「少林寺Ⅱ」だったはずですがそんなことはどうでもよく、当時もあのあたりは極めてイカガわしい店が並んでましたが、文芸座の一角だけは、なんというか、神聖なオーラみたいなものに満ちてましたですね。決してオタクではない「映画愛好家」の空気、というか、ね。

「桃園の誓い」。これは確か三国志(?)のエピソードですよね。
やはりどう思い返してもあれは「少林寺Ⅱ」で、よく考えたら一緒に行ったのはyoshito氏じゃなくて彼の嫌いなI岡か椿Dだったような気もしてきたりなど、疑問点も多いこの一文ですが、この言葉はイイですね。まず語感からしていいし、その当事者の三名、玄徳と関羽と張飛の若き姿も魅力的です。
玄徳と関羽と張飛はその後志半ばで死んじゃうわけですが(違ったかな?)さて、我々はどうでしょうね。

yoshito氏もキミも、その才能の向くまま命ずるまま、日本国的にはあまり望まれてないタイプの人生を歩んでおられます。
キミ程の才能の無いワタシは、なんとなく国家推奨型のプロトタイプにしがみついてる感じです。
どちらがどうなるのかは判らないし想像もつきませんが、なにしろいつまでも「われら生まれた日は違えども、死す時は、同じ日、同じ時を願わん」というフンイキでありたいものです。

「桃園の誓い」、これを超拡大解釈し、その後何かを生み出すきっかけとしてのデキゴト、という風にも定義つけるとしたら、ワタシにとってのあの時期・・・キミらとヒマさえあれば映画の話をし、また観に行ってたあの時代は、正に「桃園の誓い」の時期でした。
あの時期はやたら映画を観まくってましたが、それがやがて自分でも作りたくなり、その思い余って日芸などに進学を志すようになり、卒業後アレヨアレヨという間に映像関係の職にありつき、現在に至ってる、という感じです。
あの時、あれほど映画三昧でなかったら、今頃オレサマはなにしてるだろうか。・・・いや、全く想像できません。

ワタシはキミらと違って13年間ほどいわゆるサラリーマン生活を経験しました。
在職中は自分でも認めたくなかったし、またそれを口にすると場合によってはキザに受け止められかねない、という衒いもありまして、現在まで誰にも言わないで来たのですが、やっぱり、というべきか、ワタシにはどうやらサラリーマン生活は向いてなかったようです。背広を着ないでも良い職種だったから13年も耐えられたようなもんです。
また、後半の5年程は、半ば勝手に且つ強引に自主管理勤務体制、直行直帰の生活をただ一人決め込んでたからよかったので、これが禁じられ、毎日定時の出社を義務付けられてたりしたら、ノイローゼで死んでたかもしれません。
しかし、それでも13年が限界でした。で、今になっていわゆる脱サラ、独立し現在に至ってるわけです。
あの時期、映画三昧の日々を送ってなく、自分で映画(など映像作品)を作ろうなどと考えたりせず、日芸など志さずにフツーの文系大学に進学してたら、13年どころか定年までリーマン生活を続けなければならなかったかも知れない。そう考えるとトリ肌が立ちますマジで。おそらく中途でクビになってはいたと思うのですがね。

ところで、この業界において13年間のリーマン生活を経ての独立というのはどーなんだ?「今さら」感・手遅れ傾向はホントに無いのか?・・・といった「ぼんやりとした不安」が、心のヒダにこびりついています。
キミは最初っからそういう選択はせず(2、3日は会社勤めしたんだっけか?)、スタートからいわば独学で現在までやってこられてるわけで、そういう部分、ワタシは無条件に尊敬しますですよ。
そんな意味も踏まえて、出来るだけ長く「われら生まれた日は違えども、死す時は、同じ日、同じ時を願わん」ということで、宜しくお願いします、ね。


・・・ところで、人間の縁というものは摩訶不思議なもので、中学時代には高木氏以外に、大学時代にはhiguchinsky氏以外にもワタシには仲の良い友人がいました。
ありていに言って、当時彼らより仲良くツルんでたヤツらもそれなりにいたです。
しかし、その後数十年を経て、未だに年賀状やメールのやりとり、場合によっては仕事の相談などが出来ているのがこの二人。もっと仲の良かったヤツらとは疎遠になってるんですが、なんなんだろうか、この二人ってば。これがエニシというものでしょうかね。

あとですね、これも高木氏の日記からの無断転載ですが、
(higichinsky氏の)日記には「しかしドンちゃんの服ほんと昔のまんまだった。」とありますが、わたしに言わせると中学時代からあのまんまですな(爆)。
・・・考えてみたら、そうです。基本的にワタシの服装・・・単にファッションセンスの系統が、という意味でなく、具体的な服装そのものが、中学2年当時と今とで大差無い、どころかほぼ同じです。
14歳の当時と36歳の現在とでほぼ同じカッコしてるというのは、これはヤバいですね。反省することにします。

投稿者 kome3 : 00:39 | コメント (0)