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2005年10月18日

沖縄でハイスタ・・・Hi-STANDARD

10月7日付の記事でもって、我がココロのフルサト沖縄についてあれこれ書きました。
そこでもって、
こう長い事行かないでいると、沖縄病も極まれり、で、もうダメ、死にそうです。
とも書きました。
そんなわけでホントに死にそうだったので、行ってしまいました沖縄。

今回の沖縄行には珍しく微かながら目的らしきものがありました。
2005年05月21日付で記しました「花の森」を再訪することです。
たびたび訪沖してはいるものの、特にこの地に知己が大勢いたりするわけでもなく、なにしろ孤独な一人旅の連続なわけですが、唯一いわゆる知り合いがいるのがこの「花の森」。
ホントに一切の分け隔ての無い人たちの間に入って、またあのグレイトフルな時間を・・・と切望した次第です。

元々当サイト管理人は、この「花の森」のリーダーの方の娘さん(A嬢)と友人関係にありました。
訪沖の度にメシ食ったりしたりして、東京・沖縄間1000kmの距離をモノともせず友人関係を結び、はぐくんでおりました。
そしたらやがて“今度おとーさんが「花の森」ってのをつくる”とかいう話が出まして、あれよあれよという間にそれが完成し、じゃあオレも今度の訪沖時におじゃまするよ、みたいなことになり・・・して、なんだかいつのまにかみなさんと顔見知りになることが出来た、ってな次第です。


ところで・・・2005年05月21日付記事ではワザと書かなかったのですが、前回訪問した際、全く突然に、思わぬ人と出会うことになりました。

小屋の囲炉裏で、裏山で採れたシイタケなんかを焼いて食ってましたら、なんかジャージの青年が突然現れ“○○来てる?”と。
“あー、今日はまだ来てないさーねー”とかなんとか、皆さんとの会話があり、その青年は囲炉裏で焼きおにぎりをひとつ食べて去って行きました。
沖縄訛りのないその青年は、特に愛想がよくも無く、といって決して無礼だってこともなく、極めて自然体で、極めてフツーにオニギリを食べサンピン茶を飲み、して、極めて当たり前に“んじゃ”とか言って帰っていきました。

その時点ではその青年がどこの誰だか全くわかりませんでした。
しかし、大体にして私はこの「花の森」の皆さんが普段なにをされているかなど一切知らず、おそらく皆さんも私がどこの誰か殆どご存知じゃ無いはず・・・それでもフレンドリーに迎えて頂けてるところがまさに「ゆいまーる精神」というやつかと思うのですが、とにかくここでは誰がどこの何者か、みたいな事はさして重要では無いので、私もその青年の素性などには特に関心も持たず、ただただそんな時間を楽しんでいました。

その夜にA嬢は所要でおらず、対面は翌日になりました。
で、挨拶のあと、昨夜の青年について聞きましたら、A嬢
「ああ、難波さん来てたのねー」
と。
その難波さんてのは誰だ?と訪ねると、A嬢、答えました。

難波さんって、ハイスタの難波さんよー、知ってるー?

・・・この地球上で「ハイスタ」と言えば、メロコアの「jハイスタ」、米チャートで、なんか1位になっちゃったりしてたバンドのHi-STANDARDしか無いので、私は大層驚いたもんです。

詳しい事はわかりませんが(というかおそらく花の森の皆さんもそう詳しいことはご存知無いような気がします。なにしろここでは、その人の素性は、出会いやその後の邂逅においてあまり意味をもたないのだ)、氏はHi-STANDARD活動停止後沖縄にしばらく滞在されており、なんのきっかけからかこの花の森の「おなじみ」になっておられ、また山の中に個人?のスタジオを作られたとかなんとか・・・我ながらあまりにも断片的に過ぎますが、とにかくそんな感じ(?)だったのだそうです。
また花の森には、2005年05月21日付記事にも書きましたが、現在ライブハウス(?)などあったりするのですが、このことにも何らかのインスパイアがあった、みたいな話も聞きました。

・・・私と難波氏の邂逅は、この時のかるーい挨拶のみです。
その後氏は本格的に活動を再開され、A嬢によると“今は東京にいるよー”とのことで・・・沖縄といったり来たりされてるのかな?なにしろアクティブに且つ多方面に活躍されているとのことです。


で、今回の・・・先日の訪沖。
沖縄に着いて、私はまず天久新都心のTSUTAYAに向かいました。
これは余談ですが、「天久新都心」と呼ばれる一帯くらい都市計画のダメダメなところもそう無いと思います。
内地企業が沖縄から「いろんなもの」を吸い上げるための窓口、という印象しかありません。
「いろんなもの」とは決して経済的な事柄だけでなく、もしかしたら沖縄にとって金銭より大切なものが、この町から流れ出てしまっているような気がします。
どの都道府県のどの町にも、そこ「らしさ」ってものが絶対に少しはあるもんですが、ここには沖縄らしさ・沖縄の臭いというものが無い。ゼロ。

また、それのみならず、だいたいにして機能性というものが決定的に欠けている町です。なんにも先々の事を考えずに道や建物を作るとこうなる、という見本のような町です。初めてシムシティやったときにこんな町を作っちゃったような気がする。

まぁそれはともかく、天久のTSUTAYAでもってHi-STANDARDのCDをば購入。
なぜかわかりませんが、前回の訪沖時・・・難波氏とお会いしたりした際には買わなかったんですよね。今回が初ハイスタ。

・・・いやぁ、ハイスタ最高!「Making The Road」ってアルバムでしたが、こりゃスゲー!と。
評によると、やれ英語の発音がどうとか言う人もいるようですが、そんなことは些末なことで、とにかく全人類はすべからくハイスタのパワァに触れるべきだと思います。ホントに。
「パワァ」と言うのは、当然ながら決して音がデカいとかドナってるとかそういう類の事ではなく、どれだけストレートに心身に飛び込んでくるか、とか、どれだけ聴く人の脳内に作品をこびりつけられるか、みたいな影響力という意味です。
こういうのは後天的な技巧とともに、やはり天賦の才能というものによるところも大きいように思えます。
そういう意味では、ハイスタの皆さんは「天才」なんだろう、と思う。

5、6年前の高校生の間でハイスタは非常なブームだったらしいですが、ハイスタを評価するワカモノがかつて多くいたってことは、我が国にとって大いに喜ぶべきことだと思います。日本もまだまだ捨てたモンじゃないな、と。
これもまた少々余談ですが、ワタシら’80年代の中高生より、’90年代、’00年代のワカモノの方が、ずっとインテリで且つアグレッシブですね。
ワタシらの世代にハイスタみたいなアグレッシブでインテリジェンス溢れたバンドetcがいても、決してブームになることは無かったように思います。レベッカも上記の意味で「面白かった」小暮氏在席時にはブレイク出来ませんでした。


今回の訪沖は、無粋極まる私には珍しく、非常に「ブンカ的」なモノゴトに触れる機会が多くありました。
具体的にはまたそのうち触れますが、なにしろ筆頭はハイスタ体験、でした。
かくして沖縄滞在中、我がレンタカーのカーステはハイスタがヘヴィローテーションしてましたですよ。

こんなにハイスタがカッコいいなら、あの時握手くらいしとけばよかったかな、とも思いましたが、いやいや、アッサリスッキリの邂逅が花の森にはふさわしい。

ちなみに・・・こんだけ色々書きなぐったにも関わらず、今回の訪沖では、花の森に行く事ができませんでした。
A嬢の携帯・メルアドがわかんなくなっちゃったことと、花の森メンバーの皆さんの連絡先を控え忘れてたことと、ワタシの重度の方向音痴のゆえで、山の中にある花の森にたどり着けなかった、という理由です。
だからホントはここで花の森やハイスタについて書くのもオカシな事なのかもですが、なにしろあまりにも「Making The Road」が最高だったので、構成の破綻にも構わずここに書きなぐった次第です。

投稿者 kome3 : 02:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月07日

沖縄よ!

実にいろいろな理由によりまして、今日は沖縄・オキナワのことばかり考えて一日過ごしました。

オキナワ・・・嗚呼、我が心のフルサトよ。

かつては大げさでなく隔月くらいのペースで訪沖してたもんですが、ここんとこ起業したりして多忙だったりした為ついぞご無沙汰になってしまってました。
こう長い事行かないでいると、沖縄病も極まれり、で、もうダメ、死にそうです。

以前、オキナワでもってキジムナーに遭遇した話をここに書きました。
詳しくは2004年11月23日付の投稿をご参照頂きたいのですが・・・思い出した。当サイト管理人は、もう一回キジムナーと遭遇した経験がありました。

あれは前回記した時期と同じ、例によってウス汚いバッグひとつで本島内を放浪というか徘徊してた頃・・・それでもレンタカーを使う事を覚えた、比較的最近、後期の話です。

国道58号線をどこまでもひたすら北上しますと、やがて名護を越え、辺戸岬で知られる辺戸名界隈を越え、その名もズバリの「奥」という集落?に着きます。
ここが58号線の県内最北端。「県内」というのは、海を渡った鹿児島県にも58号線は続いているんですよね。国道というものは少なくとも2つ以上の都道府県にまたがってないといけないのだそうで、58(ごっぱち)が国道であるためには、海を渡って繋がってなくてはならない、というわけです・・・別にどうしても「58」が「国道」でなきゃならない理由も無いだろうと思うのですが、そんなことはこの際どうでもよく、とにかくこの時、私はこの「奥」におりました。

・・・そう、確か、2005年05月21日付で記しました「花の森」で散々飲み食いetcした後でした。
夜も深まったところで場もおひらきになったものの、私一人まだテンションも納まらず、半ば衝動的に那覇のホテルとは逆方向、北へ北へと車を走らせたのでした。

で、車は必然的に「奥」に到着。

・・・この「奥」というところは、まぁなんというか、見事になんにも無いところで、行くたびに明らかな時間の流れの違いにボーゼンとなってしまうようなところです。
私はその別世界感が好きで、毎回訪沖のたびになんの用も無いのにただ行って、唯一(?)ある共同売店で多少の買い物だけして帰る、ということを繰り返しているのですが、このときはなにしろ夜中なもんでそんな買い物も叶わず、といって那覇まで帰るにはその道のり(約120km)を考えるとそれだけでグッタリ、ってな次第で、その場で車中泊することにしたのでした。

ラジオ聴くのにも疲れて、いつのまにかウトウトしてたその時、運転席側のウインドウを誰かにノックされました。
トントントン!と。

・・・こりゃビックリしますよ。
このあたりでは、私は昼間でも共同売店以外で人に会ったこと無いんです。
それが、時計を見るとAM4:30。繰り返しますがあたりは真っ暗。
そんな状況下で誰かが私の車のウインドウをノックする。

ハッ!として見ますと、原付スクーターに乗った、若い男でした。
仰天している私を尻目に、彼は何度も何度も窓を叩き、開けろ、開けろ、というしぐさをします。

大げさでなく恐怖におびえつつ窓を開けました。
すると、彼は言いました。

「夜分すいません・・・あのー、那覇はどっちですか?」
・・・綺麗な標準語でした。Tシャツにナップザックという、極めて軽装な彼。

この真夜中、しかもこの「奥」でもって、那覇はどっちですかもクソも無いもんだ。
それまで恐怖におびえてた反動もあって、私は幾分つっけんどんに、今お前さんが来た方向が那覇だよ、と答えました。

すると青年は
「あー、そうでしたかー。有り難うございますー」
と、
実にさわやかに、もと来た道を去っていきました。

??なんなんだコイツは?と、非常にフシギな気持ちでもって彼を見送りました。

・・・わかりますか?那覇からこの「奥」まで、約120km。ここは真っ暗な、ジャングルのはざまです。
そんなところで、しかもAM4時過ぎに、原付・・・大排気量バイクでも車でもなく、原付と遭遇する。
しかもしかも、那覇はどっちだ・・・って、ここは「58」の北端で、前か後ろにいくしか道はなく、またどっちに行っても結局絶対那覇には着くんです。
っていうか、この時間に彼はなぜ那覇に?大体どこから来たの?
・・・もうね、いろんな謎や疑問が脳内でウズ巻きましたよ。

で、思ったんです。

ああ、彼はキジムナーだったんだな、と。

投稿者 kome3 : 22:38 | コメント (0) | トラックバック