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2006年01月08日
「ALWAYS 三丁目の夕日」を観てきた。
なにしろ当サイト管理人は年に1日程しかTVを観なかったりするので、この作品がチマタでこれほど大好評だとはゼンゼン知りませんでした。
今しがた帰宅しまして、さっそくネットでもって検索してみまして知った次第であります。
…ここまで書いて、当サイト管理人はアゼンボーゼンとするべき事実に気付いてしまったのですが、考えてみると、いわゆる「ロードショウ」でもって映画作品を観たのは、実に1985年公開、ダドリー・ムーア主演の「サンタクロース」以来。
「映画館で観た」ということであれば結構最近も観てはいるんですが、こと「ロードショウ」ってことになると、今回がなんと約21年ぶりになります(ちなみに、この人が未だに嫌っているIくんと観に行ったのでした)。
…こんなアリサマでありながら、昨年の5月1日から7日までこのサイト上にて私的映画評など書きなぐったりしてたわけで、いやはや恥ずかしいやら、情けないやら、なによりこのサイトの駄文を読んだりしてくださった皆さんにもうしわけない限りです。
話はコロッと変わりまして・・・これはミフネと分かれたずっと後に出されたコメントだと記憶しているのですが、かのクロサワ・黒澤明監督は、記者だったか、もしかしたら土屋嘉男だったかによる“監督はもう時代劇を撮らないんですか?”といった問いに対し、
“いやぁ、とりあえずそのつもりは無いよ”
“もう撮らないかな…うん、撮らないかもしれないね”
“もうね、役者がいないんだよ、あの時代を演れる役者が、ね”
“あの時代の侍を演れる「顔」を持ってるやつがいないよ、もう、ね”
・・・などとおっしゃってました。
その後「影武者」だとか「乱」だとかをガンガン撮ってるので、もしかしたらまるっきり別人だったかもしれませんが、確かにどこかでそんな言葉を聞いた・読んだ気がします。
で、これは、確かに一理あるコメントだ、と思う。
「ALWAS 三丁目の夕日」は、「昭和33年の東京」というものを、大道具・小道具、そしてセット、もちろんシナリオや演出などなどにおいて、微に入り細に渡り非常に忠実にこの時代を再現しています。
それらはほぼ大成功で、映画内の空気感を充実させるのに大きな役割を果たし、そしてこの作品を非常に感動的なものに仕上げるのに大きな役割を果たしています。
しかし、唯一違和感を感じたのは、やはり役者さん方が、「平成人」なのですね。
子供達は主たる二人のみならず、いわゆる「その他大勢」の面々に至るまで、ちょっと驚嘆してしまうほどの名演技でしたが、やはり彼らの醸すのは「平成の子」の雰囲気でした。
事ほど左様に、大人たちも、どなたも非常に魅力的な演技表現をみせてくれていましたが、どうしてもここにあるのは「平成を生きる大人」。
例えば、多少年次はズレますが「ニッポン無責任時代」に登場していた方々とは、やはりどこかが違う、と感じてしまいました。
いわゆるマゲものの時代劇は、当時を知る人が皆無な現在、ぶっちゃけその内容etcは「なんでもあり」で、クロサワなどのように偏執狂的なコダワリまでをみせなくても、それなりに「リアル」なものとして成立し得ます。
しかし、「昭和33年」は、そうはいかない。
当時を知ってる人がバリバリ残ってる…どころか、まだまだ前線で活躍中だったりしますから。
だから、ともすればこの「人間の違い」は、この作品にとって致命的な欠陥になり得る重要な命題だったはず。
まだまだ近い過去であるこの時代を設定するにあたり、ここでの食い違いは全てをいブチ壊しにしてしまいます。
その辺を意識されてなのかどうか、この「ALWAYS…」は、なんだか“当時の雰囲気を忠実に・リアルに再現・・・”みたいな部分ばかり強調されていますが、じゃあリアルな時代劇なのかというと決してそうではなく、実はあくまでもファンタジー、寓話として構築されています。
形而下の部分、具体的な部分は確かに極めて忠実に往時をトレースしていますが、物語、そして引いては作品そのものはあくまでファンタジー、空想物語。ワンス・アポン・ナ・タイム・イン・ジャパンとでもいいいましょうか。
この作品は「ファンタジー」「寓話」という体裁を取った(もしくは、そういう原作を得た)ことと、具体的な再現が可能な部分において、呆然とするほどの忠実な再現に成功した、というこの2者により、今や貴重な、上質なウェルメイド作品として大成功をおさめることができた、といえるように思います。
思うに、「ファンタジー」「ウェルメイド作品」というものは、その構成者・登場人物になんらかのポジティブな姿勢があって初めて成り立つもののような気がします。
登場人物に確固たる前向きな思想・行動があるからこそ、観客は彼自身や、彼がたどり着く道程そのものに感情移入できる、というか。
「昭和33年」当時の日本人は、ホントに、メチャメチャにポジティブだったんですねきっと。
良い意味で単純・ストレートな「ファンタジー」が作れるほどにポジティブだった時代というのは、それは間違いなく良い時代だと思います。
そんな良い時代を実際に経て来た・・・場合によってはそのポジティブさの担い手だったりする当事者がまだ現役だったりするわけですから、作品としても上質に仕上がっているこの作品が興行的にも大成功しているのは、当然ですね。
当時キチンと生きてきた人がこれを観たら、間違いなく感動するでしょう。
往時の再現の忠実さよりなによりも、ここにある「ファンタジー」からの感動を最も享受できる人たちなわけですから。
逆に言うと、この時代を題材に採ってる以上、そういう人たちにはヘタな小細工は通用しないわけで、上記の様な「あざとさ」を彼らに感じさせないだけの見事な演出がここにはあります。
・・・ここで考えた。
じゃあ、あと20年くらい経って、例えば’80年代という時代に同種の企画が成立しえるだろうか?
・・・いろいろ考えたのですが、この作品ほど、直截的に感動できる作品は作れないように思いました。
もう少しギスギスした、というか、ヒンヤリした触感の作品になるような気がします。
この作品のような、良い意味で単純・ストレートな「ファンタジー」にはならない、と。
感動をもって振り返れる時代ではなかった・・・というと、言い過ぎですかね。
投稿者 kome3 : 04:38 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月05日
ボクシングネタが続く。
大晦日に、ハッキリ言ってロクでもない「格闘技」をシコタマ見せられ(いや、だったら見なきゃいいんだけども)、さらにこの1月4日の某ドーム球場での某格闘技興行上においてさらに輪をかけてロクでもないウワサが飛び交ってたりするのを知っちゃったせいで、なんだか格闘競技に対する不信感みたいなものが芽生えてしまっております。
こんなときは、「ロクでもなく」ない無い格闘競技を観るに限る!というわけで、大昔にエアチェックしたビデオを引っ張り出しました。
まずはハーンズの逮捕(1/4付当サイト記事参照)の報をきっかけに、レナードVSハーンズ戦…いや、これはホントにスバラしい。もはや芸術です。
ハーンズは190cmくらいある、ありていに言って「巨人」(ヘビー級のタイソンより高い!)なのですが、そのスピードはもはやフライ級レベル。
しかも身長以上あるリーチを利したパンチが、上下左右からボコボコ飛んで来る。しかもしかもどのパンチもシャレにならないくらい強い!…「石のコブシ」と呼ばれたハードパンチャーであるデュランとの戦いを経てきているレナードの表情が恐怖に歪んでいますよ。ビデオをお持ちの皆さんは、いま一度じっくりご覧下さい。
ちなみに上記「上下左右」の「上」がいわゆるチョッピング・ライト、「下」がフリッカー・ジャブだったりします。
ボクシングの連打・コンビネーションブローの基本形は、左ジャブー右ストレート・左フック、というものです。今はもうこういう古風な定型はそれほど重視されてないような気もしますが、いちおうこういう基本形があることはあるはず。
この場合の3種のパンチは、基本的に全て地面と水平な軌道上で打たれます。
これに対してハーンズの(レナードもそうですが)「連打」は、下から突き上げる「フリッカー・ジャブ」が来たかと思えば、自分の肩越しにチョッピング・ライトが打ち下ろされる、といった具合に、まさに上下左右、縦横無尽に、しかも極めて正確に飛んできます。
こんなに対戦相手にとってオソロしいことは無いはずです。
この「上下左右」で思い出すのが、リカルド・ロペス。
最軽量級のストロー級(今はミニマム級と呼称するらしい)の王者です。
私の好きな大橋秀行を5RでKOして戴冠、その後22回それを防衛し、結局無配のまま引退した、という、夢のようなチャンプでした。
大橋も、所属のヨネクラジム会長によれば「150年に一人」の天才ボクサーなはずなのですが、ロペスにはハッキリ言って残念ながら歯が立ちませんでした(それでも、あのロペスに強打をクリーンヒットさせ、一度はグラつかせたんだからやっぱし大橋はスゴい)。
私の記憶が確かならば、大橋からタイトルを強奪した試合、そのフィニッシュは左~右のストレート2連打だったはず。
正確に言うと、左はロングの左アッパーで、右はかなり大胆な打ちおろしの右ストレートでした。
…そもそもサウスポーでもない選手による「ロング(遠距離から)の左アッパー」など、そうそう観られるもんじゃないのでよく覚えてます。
で、それに間髪入らずに、叩き潰すような右ストレートが続く…確か後楽園ホールでの試合だったと思うのですが、会場が静まり返ってたように記憶してます。
ボクシング会場が試合中・後に静まり返ってしまう理由には、いくつか類型を見出せます。
1・ヒマな試合の場合(これが圧倒的に多い)
2・良い意味で“ああ、こりゃモノが違う!”という場面
(ワレワレはスゴい選手を生で観ることができている!という喜びによる)
3・良い意味で“ああ、こりゃモノが違う!”という場面
(こんな試合組みやがって!という怒りによる)
などなど。
大橋VSロペス戦の「静まり」は、明らかな「2」でした。
その後ロペスがウルトラスーパーチャンプとして10年近く王座に君臨するのを観るにつけ、
「ああ、オレもあの時、(後楽園)ホールに行けばよかった…」
と、何度思ったことか。
会場の「静まり」で印象的だったのは…これは上記中の「2」の亜流とでもいうべきか…高橋ナオトVS朴鐘弼戦。
これは、高橋ナオトのラストファイトです。
高橋ナオト…当サイト管理人的には「高橋直人」の方がしっくりくるのですが、今里光男を破って日本バンタム王座についた頃の高橋は、若さと才能でキラキラ輝いてました。
巧みなカウンター狙いの技は練習して出来るレベルのものではなかった、と思います。
高橋といえば、なにしろVSマーク堀越戦。
これはおそらく、全ての日本タイトルマッチの中でも確実にベスト10に入る名勝負なはずです。
ダウンの応酬の末に逆転KO勝ち、という、老若男女誰が見ても「堪能」できる、ホントに名勝負だったのですが、今思うと、ああいう試合たちが高橋の選手寿命を縮めてしまったんだな、と。
VS朴鐘弼戦はそんな高橋の、VSノリ・ジョッキージム戦の敗北からの再起第2戦でした。
このノリ戦、第一戦は大逆転KO勝ちで、そんな試合内容に不満な高橋陣営がわざわざ組んだ「雪辱戦」だったのですが、ここでは高橋は判定で惨敗。
捲土重来を期しての再起第2戦目だったわけです。
・・・が、結果は、いいところなく、というか、観るも無残なKO負け。
タンカで退場する高橋を見送る会場は、それこそ葬式のようにシーンと静まり返っていました。
・・・まだ続く、ような気がする。
投稿者 kome3 : 22:23 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月04日
年始らしくボクシングネタ。
元日にちょっとだけ、“モーターシティ・コブラ”もしくは“マシンガンを持った哲学者”こと、トーマス“ヒットマン”ハーンズのことを書きましたが、なんと新年早々ハーンズ逮捕の報が入ってきました。
以下は、例によって日刊スポーツよりの引用です。
元5階級王者ハーンズ、家庭内暴力で逮捕
80年代に世界5階級を制覇したトーマス・ハーンズ(47=米国)が家庭内暴力で逮捕されていたことが3日、明らかになった。1日夜、デトロイト市内の自宅で13歳の息子を殴り、けがをさせた。夫人の通報で警察が駆けつけ、逮捕したという。ミシガン州の法律では家庭内暴力でも逮捕される。ハーンズは80年に世界ボクシング協会(WBA)ウエルター級王座を獲得した後、5階級を制覇。昨年7月には、5年ぶりの復帰戦で勝利を挙げた。
・・・リング外では非常な紳士である、というのが専らの評判だったので、今回の逮捕は少々意外に思えました。
しかし、あのハーンズにキれられ、その末に殴られる際の恐怖はいかばかりだったろうか。もはや想像に余りあります。
現役時代(実は今も現役らしいのですが)のハーンズは、“ステアリング”と言って、試合前の「にらみつけ」時のオッカなさには定評がありました。
試合開始ゴング直前、レフェリーが両選手をリング中央に呼び寄せ、試合進行上の注意事項説明を(ほぼ形骸的に)行っているその際の「にらみつけ」です。
あれで大抵の選手はビビってしまい、この時点でもはや勝負あり、というケースが多かったようです。
あのホセ“ピピノ”クエバスもその“ステアリング”犠牲者の一人だったようで、世界ウェルター級でほぼ無敵、「絶対王者」だったにも関わらず、当時新進のハーンズには手も無くヒネられ、あえなく2RKO負けでした。
ハーンズは我が子をどんな殴り方したのだろうか。
エマニュエル・ステュワート直伝(?)のフリッカージャブか、チョッピング・ライトか。
当サイト管理人がこのフリッカージャブというものを初めてみたのが、ハーンズVSシュガー・レイ・レナード戦…正確には、テレビ東京でこの試合を中継する前にその前フリとして流していた、ハーンズVSランディ・シールズだったかパブロ・バエス戦でした。
内容はもう詳しく記憶しておりませんが、この手の煽りVTR独特の誇張編集だった事を割り引いても、いやはやトンでもないスピード&ハードパンチっぷりでした。
当サイト管理人は、このハーンズや、日本人選手だと大橋秀行、坂本孝雄、杉谷満といった、剛直なイメージのあるハードパンチャーが好きだったので、上記のVSレナード戦でも、どうかレナードを負かしてくれまいか、と念じつつ、正座してTVに向かったものです。
しかしながら、結果はハーンズの敗北。14Rにレナードのドトーの連打でTKOされるまではほぼ完封していた(と思う…!)だけに惜しい敗退でした。
このレナードVSハーンズ戦(第一戦)は、当時…’80年代を代表する「世紀の一戦」でした。
鳴り物入りでプロ入りし、R・デュランに不覚を取った一戦を除き連戦連勝、ハーンズ戦までに世界ウェルター級・世界J・ミドル級を既に征しているレナードと、ブルース・カリー、センサク・ムアンスリン、アンヘル・エスパダ、エディ・ガソ(日本の工藤政志と対戦・負けた選手でもある)といった元王者たちをことごとく
一蹴…ホントに軽々と一蹴し、無敵王者だったホセ・ピピノ・クエバスもほぼその流れで一蹴し戴冠、圧倒的な強さを見せ付けて上り詰めてきたハーンズとが相対したこの一戦は、掛け値なしの世紀の一戦、スーパーファイトでした。
・・・と、ここまで書いて気付きましたが、この試合については他にもモノスゴク沢山の方が書いておられるので、ここではもう書かない。
ひとつだけ・・・このスーパーファイトの8年後に、なんだか唐突に行われたレナードVSハーンズVol.2は、いろんな意味で非常にダメな試合でした。
そんなにまでしてアメリカボクシング界はレナードを「ヒーロー」にしたいのか?という感じで。
長くなりそうなので、続きは改めて。
投稿者 kome3 : 18:29 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月01日
年に一度のTVを観る日
ボクシングの選手は、そのキャリアスタート時の体重・階級が、その後のキャリアにおけるファイトスタイルに大きな影響を及ぼすのだそうです。少なくともそういう傾向が多く見られる、と。
かつてトーマス“ヒットマン”ハーンズが、なにゆえにウェルター~L・ヘビーという中~重量級でありながら、攻・防の双方においてフライ級選手もビックリみたいなスピードを晩年に至るまで持ち続けられたかというと、彼のキャリアスタートはそのフライ級からだったんですね。もちろん当時はアマチュア…というか少年ボクシング教室みたいな環境だったようですが。
もちろんその後の精進etcもあっての事なわけですが、なにしろ彼はキャリアスタート当初のリズム・スピードのイメージのまま、つい最近までの現役生活を送ることが出来たわけです。
対レナード戦Vol.1…これはほぼ終始レナードを圧倒していたわけですが、あの試合、
また、ホントに殺しちゃうんじゃないか?と思わせた対R・デュラン戦、
また、当時世界ウェルター級の「絶対王者」だったホセ・ピピノ・クエバスを一蹴、軽く屠った一戦、
・・・どの試合も、そのハードパンチ同様、なにしろとても同じ人類とは思えないスピードで我々を堪能させてくれました。
大東旭という選手は、かつて世界フェザー、J・ライト級王座に挑戦したことのあるある竹田益朗選手と対戦歴があったりするように、中軽量級から順次ウエートを上げていった、日本人重量級としては少々珍しいキャリア進行の選手でした。
ですので、他の同階級の選手に比べると非常にスピードやキレのある、日本人選手的感覚としては「スピード豊かな好選手」でした。実際世界ランクにもながいこと入り、日本王座も10回防衛(して返上)、またその後東洋王座にもつくクレイジー・キム選手にも勝ってたりなど、リッパな戦跡を残しています。
でもって、昨日の…これはK1?「ダイナマイト」というのはK1とは区別されるものなのか?…なにしろ2005年大晦日に、彼はなにをしていたか。
結論からいうと、相次ぐ選手の欠場で目玉不足にアセったK1からの急なオファーで担ぎ出された魔裟斗選手のテイのいい負け役を演じておりました。
10日前に参戦オファーが来て、その後8kgだかの減量を敢行して出場し、試合では魔裟斗選手のローキックをほぼ為すすべなくもらい続け、あげくに3度のダウンの末にKO負け。
・・・当サイト管理人としては、大東に、亀田に負けたサマンやアランブレットと同質の悲しみを見てしまいました。
なにが悲しくて、K1という新興競技で、かつて一流の日本王者であた彼が噛ませ犬を演じなければいけないのか。
その当の試合、なにしろ魔裟斗選手のローをもらいまくりだったわけですが、肝心のパンチ…K1という舞台においてほぼ唯一の武器であり、唯一注目されるべき彼の持ち味であるはずのパンチが、もはや現役王者時代当時のそれとは雲泥の差。キレもなく、打後の体勢は流れ、ただ魔裟斗選手につけいるスキを与えるだけのシロモノになってました。
そうは思いたく無いのですが、「典型的なロートル」としか、今日の試合を観る限り言い様がありませんでした。
ただでさえ調整機関も殆どなく、加えてなにしろ35歳という年齢、またK1転向後間もないという事情を考えると、有る意味これは仕方ないといえば仕方ないわけですが、いや、やはり悲しい。
大東選手には、ぜひ頑張って頂きたいです。
PS.として・・・
・・・こんなことは誰もがわかってることだと思うので、あえてここで言っても詮無い話ではあるのですが、だいたいこのK1とかプライドっていうのは一体ナンなんだ!?
他競技で功成り名をあげ、その後全盛を過ぎて引退し、すでに「後進の指導」だったり「第二の人生」を送ってたりした選手がいきなり出場し、当たり前のように(っていうか当たり前なのですが)生え抜き選手にブザマな姿をさらして負ける・・・こういうことが毎年大晦日の度に繰り返されるっていうのは、全くもって異常なことのように思います。昨日もアケボノ選手は負けました。
こういうことを続けてると本来の競技が痩せてしまい、長続きするモノもしなくなってしまうはずなのですが、その辺はおそらく各主催側も承知の上で、とにかく様々な「数字」を稼げるうちに稼いでしまおう、ってハラなんでしょうね。昨日はとうとう格闘技畑以外からの参加選手が2名もいましたよ。なりふり構わないというか、エゲツないというか。