2007年06月02日

昨日に引き続き沖縄記。

昨日から今日は、やはりあんまし寝られなかった。
なんでって、コーフンしてしまったのですよ、沖縄、オキナワに。
オキナワの地にこの二本の足で立てる喜び、です。
この「喜び」及びその作用の前では、睡眠不足だとかそういう些末事は全て消し飛んでしまうのでありますよ。

昨日このサイトにおきまして、“ユニットバスにおいて体を洗う場所は湯船の内か外か”という至上命題に関してアレコレ書きましたが、本日朝、この疑問はアッサリ解決致しました。

結論から言うと、湯船の内。
もう、何があっても湯船の外で体を洗ったりしてはいけません。

今日の朝ウ○コしようとしたら、ケツ拭き紙がズブ濡れで使用不可。
便座に腰掛け、すわ!という、その刹那に発見したズブ濡れケツ拭き紙。
あわてて引っ込めたのは言うまでもありません。

盛大に且つ豪快に体を洗った結果、便器横のケツ拭き紙が盛大且つ豪快に水(お湯)をかぶり、紙粘土製造工程の途上みたいになってしまった。
使用に耐えるか試してみたんですが、こりゃダメダメ、

この宿にはケツ拭き紙のスペアが無く、仕方ないからせずに外出するハメになってしまいました。
あと数秒、ズブ濡れケツ拭き紙に気づくのが遅れたら、持参のクツ下がひとつ減ることになってしまうところでした。流せ無いですが。


オキナワ着2日目の本日は、朝っぱらからこのケツ拭き紙事件のほか、いきなり携帯が使用不能になったりするなど、まぁ毎度の事ながら大騒ぎ、バタバタでした。
しかし、心配した雨にも祟られず、非常に快適な暑さの中で諸作業をこなすことができました。めでたしめでたし、であります。
 
 
・・・ウ○コで思い出したんですが、
“カレー味のウンコ、ウンコ味のカレー、さぁ、あなたはどっちを食べる?”
これ、究極の選択、なんてなことで言われたりしますが・・・これって果たして「究極の選択」ですかねぇ。
私的には、

ウンコ味のカレーを食うにきまってんじゃねーか!

と思うんですけどね。

だって、例えば、ウンコってどんな味なんだろう?と思ったとしますよ。
しかし、ワレワレは通常、ウンコは食えませんよ。ウンコは基本的に口腔内や胃etcで摂取するにはあまりにも多すぎ且つ有害な大腸菌にあふれているからです。ヘタしたら死んじゃいますからね。

でも、この場合、実質的にそれはカレー、あくまでも味のみウンコのそれを再現したカレーなわけです。
カレーには、通常ワレワレを死に至らしめる程の毒物は入ってないわけですが、にも関わらず・・・かれーとしての安全性を保ったまま、ウンコの味を確認できる、という。

「究極の選択」どころか、当サイト管理人としては、むしろ積極的に食いたいと欲す。
カレーでなくてもl、例えばカリントウとかチョコクリームとかでも可です。
そういえば、アポロ計画(?)では、宇宙船乗組員のウンコを「リサイクル」して食用に加工すべく実験が重ねられたんだそうですね。
食用のウンコは、果たして完成したんでしょうか。


・・・カレーには、通常ワレワレを死に至らしめる程の毒物は入ってない、と先ほど書きましたが、「死に至らしめる程の毒物が混入されたカレー」の事件、そういえば最近公判の報せなど目にしませんが、どうなったのでしょうか。

このGWにもありましたが、それなりのイベントetcには、やれタコ焼きだ焼きそばだっていう出店が付き物です。
常に賑わうこれらのコーナーですが、このタコ焼きだ焼きそばだに、もしどっかのアホが毒物など混入したとしたら・・・と考えると、いやもう恐ろしいです。
この手の取材の度に、必ず一瞬そんなことを考えてしおまいます。


ああ、そうそう、ウンコっていえば、今日、某「ビーチ」での撮影があったんですが、現場近く、波打ち際で、イヌの散歩してる方がおられました。
飼い主はちゃんとウンコ袋など携えておられましたら、例えば波打ち際の「波」部分でイヌがウンコした場合、飼い主は即効でウンコを掬い上げなければなりませんね。
モタモタしてると、溶けちゃいますからね、ウンコが。
 
 
 
・・・ま、そんな感じで。

投稿者 kome3 : 23:06

2005年10月18日

沖縄でハイスタ・・・Hi-STANDARD

10月7日付の記事でもって、我がココロのフルサト沖縄についてあれこれ書きました。
そこでもって、
こう長い事行かないでいると、沖縄病も極まれり、で、もうダメ、死にそうです。
とも書きました。
そんなわけでホントに死にそうだったので、行ってしまいました沖縄。

今回の沖縄行には珍しく微かながら目的らしきものがありました。
2005年05月21日付で記しました「花の森」を再訪することです。
たびたび訪沖してはいるものの、特にこの地に知己が大勢いたりするわけでもなく、なにしろ孤独な一人旅の連続なわけですが、唯一いわゆる知り合いがいるのがこの「花の森」。
ホントに一切の分け隔ての無い人たちの間に入って、またあのグレイトフルな時間を・・・と切望した次第です。

元々当サイト管理人は、この「花の森」のリーダーの方の娘さん(A嬢)と友人関係にありました。
訪沖の度にメシ食ったりしたりして、東京・沖縄間1000kmの距離をモノともせず友人関係を結び、はぐくんでおりました。
そしたらやがて“今度おとーさんが「花の森」ってのをつくる”とかいう話が出まして、あれよあれよという間にそれが完成し、じゃあオレも今度の訪沖時におじゃまするよ、みたいなことになり・・・して、なんだかいつのまにかみなさんと顔見知りになることが出来た、ってな次第です。


ところで・・・2005年05月21日付記事ではワザと書かなかったのですが、前回訪問した際、全く突然に、思わぬ人と出会うことになりました。

小屋の囲炉裏で、裏山で採れたシイタケなんかを焼いて食ってましたら、なんかジャージの青年が突然現れ“○○来てる?”と。
“あー、今日はまだ来てないさーねー”とかなんとか、皆さんとの会話があり、その青年は囲炉裏で焼きおにぎりをひとつ食べて去って行きました。
沖縄訛りのないその青年は、特に愛想がよくも無く、といって決して無礼だってこともなく、極めて自然体で、極めてフツーにオニギリを食べサンピン茶を飲み、して、極めて当たり前に“んじゃ”とか言って帰っていきました。

その時点ではその青年がどこの誰だか全くわかりませんでした。
しかし、大体にして私はこの「花の森」の皆さんが普段なにをされているかなど一切知らず、おそらく皆さんも私がどこの誰か殆どご存知じゃ無いはず・・・それでもフレンドリーに迎えて頂けてるところがまさに「ゆいまーる精神」というやつかと思うのですが、とにかくここでは誰がどこの何者か、みたいな事はさして重要では無いので、私もその青年の素性などには特に関心も持たず、ただただそんな時間を楽しんでいました。

その夜にA嬢は所要でおらず、対面は翌日になりました。
で、挨拶のあと、昨夜の青年について聞きましたら、A嬢
「ああ、難波さん来てたのねー」
と。
その難波さんてのは誰だ?と訪ねると、A嬢、答えました。

難波さんって、ハイスタの難波さんよー、知ってるー?

・・・この地球上で「ハイスタ」と言えば、メロコアの「jハイスタ」、米チャートで、なんか1位になっちゃったりしてたバンドのHi-STANDARDしか無いので、私は大層驚いたもんです。

詳しい事はわかりませんが(というかおそらく花の森の皆さんもそう詳しいことはご存知無いような気がします。なにしろここでは、その人の素性は、出会いやその後の邂逅においてあまり意味をもたないのだ)、氏はHi-STANDARD活動停止後沖縄にしばらく滞在されており、なんのきっかけからかこの花の森の「おなじみ」になっておられ、また山の中に個人?のスタジオを作られたとかなんとか・・・我ながらあまりにも断片的に過ぎますが、とにかくそんな感じ(?)だったのだそうです。
また花の森には、2005年05月21日付記事にも書きましたが、現在ライブハウス(?)などあったりするのですが、このことにも何らかのインスパイアがあった、みたいな話も聞きました。

・・・私と難波氏の邂逅は、この時のかるーい挨拶のみです。
その後氏は本格的に活動を再開され、A嬢によると“今は東京にいるよー”とのことで・・・沖縄といったり来たりされてるのかな?なにしろアクティブに且つ多方面に活躍されているとのことです。


で、今回の・・・先日の訪沖。
沖縄に着いて、私はまず天久新都心のTSUTAYAに向かいました。
これは余談ですが、「天久新都心」と呼ばれる一帯くらい都市計画のダメダメなところもそう無いと思います。
内地企業が沖縄から「いろんなもの」を吸い上げるための窓口、という印象しかありません。
「いろんなもの」とは決して経済的な事柄だけでなく、もしかしたら沖縄にとって金銭より大切なものが、この町から流れ出てしまっているような気がします。
どの都道府県のどの町にも、そこ「らしさ」ってものが絶対に少しはあるもんですが、ここには沖縄らしさ・沖縄の臭いというものが無い。ゼロ。

また、それのみならず、だいたいにして機能性というものが決定的に欠けている町です。なんにも先々の事を考えずに道や建物を作るとこうなる、という見本のような町です。初めてシムシティやったときにこんな町を作っちゃったような気がする。

まぁそれはともかく、天久のTSUTAYAでもってHi-STANDARDのCDをば購入。
なぜかわかりませんが、前回の訪沖時・・・難波氏とお会いしたりした際には買わなかったんですよね。今回が初ハイスタ。

・・・いやぁ、ハイスタ最高!「Making The Road」ってアルバムでしたが、こりゃスゲー!と。
評によると、やれ英語の発音がどうとか言う人もいるようですが、そんなことは些末なことで、とにかく全人類はすべからくハイスタのパワァに触れるべきだと思います。ホントに。
「パワァ」と言うのは、当然ながら決して音がデカいとかドナってるとかそういう類の事ではなく、どれだけストレートに心身に飛び込んでくるか、とか、どれだけ聴く人の脳内に作品をこびりつけられるか、みたいな影響力という意味です。
こういうのは後天的な技巧とともに、やはり天賦の才能というものによるところも大きいように思えます。
そういう意味では、ハイスタの皆さんは「天才」なんだろう、と思う。

5、6年前の高校生の間でハイスタは非常なブームだったらしいですが、ハイスタを評価するワカモノがかつて多くいたってことは、我が国にとって大いに喜ぶべきことだと思います。日本もまだまだ捨てたモンじゃないな、と。
これもまた少々余談ですが、ワタシら’80年代の中高生より、’90年代、’00年代のワカモノの方が、ずっとインテリで且つアグレッシブですね。
ワタシらの世代にハイスタみたいなアグレッシブでインテリジェンス溢れたバンドetcがいても、決してブームになることは無かったように思います。レベッカも上記の意味で「面白かった」小暮氏在席時にはブレイク出来ませんでした。


今回の訪沖は、無粋極まる私には珍しく、非常に「ブンカ的」なモノゴトに触れる機会が多くありました。
具体的にはまたそのうち触れますが、なにしろ筆頭はハイスタ体験、でした。
かくして沖縄滞在中、我がレンタカーのカーステはハイスタがヘヴィローテーションしてましたですよ。

こんなにハイスタがカッコいいなら、あの時握手くらいしとけばよかったかな、とも思いましたが、いやいや、アッサリスッキリの邂逅が花の森にはふさわしい。

ちなみに・・・こんだけ色々書きなぐったにも関わらず、今回の訪沖では、花の森に行く事ができませんでした。
A嬢の携帯・メルアドがわかんなくなっちゃったことと、花の森メンバーの皆さんの連絡先を控え忘れてたことと、ワタシの重度の方向音痴のゆえで、山の中にある花の森にたどり着けなかった、という理由です。
だからホントはここで花の森やハイスタについて書くのもオカシな事なのかもですが、なにしろあまりにも「Making The Road」が最高だったので、構成の破綻にも構わずここに書きなぐった次第です。

投稿者 kome3 : 02:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月07日

沖縄よ!

実にいろいろな理由によりまして、今日は沖縄・オキナワのことばかり考えて一日過ごしました。

オキナワ・・・嗚呼、我が心のフルサトよ。

かつては大げさでなく隔月くらいのペースで訪沖してたもんですが、ここんとこ起業したりして多忙だったりした為ついぞご無沙汰になってしまってました。
こう長い事行かないでいると、沖縄病も極まれり、で、もうダメ、死にそうです。

以前、オキナワでもってキジムナーに遭遇した話をここに書きました。
詳しくは2004年11月23日付の投稿をご参照頂きたいのですが・・・思い出した。当サイト管理人は、もう一回キジムナーと遭遇した経験がありました。

あれは前回記した時期と同じ、例によってウス汚いバッグひとつで本島内を放浪というか徘徊してた頃・・・それでもレンタカーを使う事を覚えた、比較的最近、後期の話です。

国道58号線をどこまでもひたすら北上しますと、やがて名護を越え、辺戸岬で知られる辺戸名界隈を越え、その名もズバリの「奥」という集落?に着きます。
ここが58号線の県内最北端。「県内」というのは、海を渡った鹿児島県にも58号線は続いているんですよね。国道というものは少なくとも2つ以上の都道府県にまたがってないといけないのだそうで、58(ごっぱち)が国道であるためには、海を渡って繋がってなくてはならない、というわけです・・・別にどうしても「58」が「国道」でなきゃならない理由も無いだろうと思うのですが、そんなことはこの際どうでもよく、とにかくこの時、私はこの「奥」におりました。

・・・そう、確か、2005年05月21日付で記しました「花の森」で散々飲み食いetcした後でした。
夜も深まったところで場もおひらきになったものの、私一人まだテンションも納まらず、半ば衝動的に那覇のホテルとは逆方向、北へ北へと車を走らせたのでした。

で、車は必然的に「奥」に到着。

・・・この「奥」というところは、まぁなんというか、見事になんにも無いところで、行くたびに明らかな時間の流れの違いにボーゼンとなってしまうようなところです。
私はその別世界感が好きで、毎回訪沖のたびになんの用も無いのにただ行って、唯一(?)ある共同売店で多少の買い物だけして帰る、ということを繰り返しているのですが、このときはなにしろ夜中なもんでそんな買い物も叶わず、といって那覇まで帰るにはその道のり(約120km)を考えるとそれだけでグッタリ、ってな次第で、その場で車中泊することにしたのでした。

ラジオ聴くのにも疲れて、いつのまにかウトウトしてたその時、運転席側のウインドウを誰かにノックされました。
トントントン!と。

・・・こりゃビックリしますよ。
このあたりでは、私は昼間でも共同売店以外で人に会ったこと無いんです。
それが、時計を見るとAM4:30。繰り返しますがあたりは真っ暗。
そんな状況下で誰かが私の車のウインドウをノックする。

ハッ!として見ますと、原付スクーターに乗った、若い男でした。
仰天している私を尻目に、彼は何度も何度も窓を叩き、開けろ、開けろ、というしぐさをします。

大げさでなく恐怖におびえつつ窓を開けました。
すると、彼は言いました。

「夜分すいません・・・あのー、那覇はどっちですか?」
・・・綺麗な標準語でした。Tシャツにナップザックという、極めて軽装な彼。

この真夜中、しかもこの「奥」でもって、那覇はどっちですかもクソも無いもんだ。
それまで恐怖におびえてた反動もあって、私は幾分つっけんどんに、今お前さんが来た方向が那覇だよ、と答えました。

すると青年は
「あー、そうでしたかー。有り難うございますー」
と、
実にさわやかに、もと来た道を去っていきました。

??なんなんだコイツは?と、非常にフシギな気持ちでもって彼を見送りました。

・・・わかりますか?那覇からこの「奥」まで、約120km。ここは真っ暗な、ジャングルのはざまです。
そんなところで、しかもAM4時過ぎに、原付・・・大排気量バイクでも車でもなく、原付と遭遇する。
しかもしかも、那覇はどっちだ・・・って、ここは「58」の北端で、前か後ろにいくしか道はなく、またどっちに行っても結局絶対那覇には着くんです。
っていうか、この時間に彼はなぜ那覇に?大体どこから来たの?
・・・もうね、いろんな謎や疑問が脳内でウズ巻きましたよ。

で、思ったんです。

ああ、彼はキジムナーだったんだな、と。

投稿者 kome3 : 22:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月21日

焼肉をまた食った、というところから沖縄話へ(珍しく写真・動画付)。

19日、higuchinsky氏はしもとゆか氏、そして両氏と同様、当サイト管理人の大学時代の同級生であるyayoi氏と、なぜか中学時代の友人である高木登氏と、ワタクシ、という、接点のよくわからない5名でもって焼肉を食いに行きました。
その内容については上記各位のサイト中の「日記」等を参照されたいのですが、要するにワタシがホームラン級のバカチンだった大学時代と、さらにもっとバカチンだった中学時代の、それぞれの時期におけるワタシ及びワタシの周辺にいたバカチンたちとによる、極めて劣悪かつ醜悪でバカチンなエピソードを、ワタシが例によって調子に乗って喋りまくった、という体裁でした。
もう反省する気にもなれません。

(カーズは)
2度と地球へは戻れなかった…。
鉱物と生物の中間の生命体となり
永遠に宇宙空間をさまようのだ。
そして死にたいと思っても死ねないので
―そのうちカーズは考えるのをやめた。

・・・これにならって、ワタシももう反省するのを止めようかと思っております。開き直るという意味では無く。

さて、我々が焼肉食ってるそのさなか(時差はあるけど)、沖縄の伝説的バンドである「紫」のボーカルの人が、県内のスーパーで食料品700円相当を盗んでタイホされてしまいました。
いったい何やってんでしょうか。っていうか、なにがあったんでしょうか。盗んだのが「海ぶどう¥700」。
「ステイウィズミー」は名曲でしたが・・・これで3回目のタイホだそうです。
いくら沖縄が「テーゲー」だからと言って、窃盗はいけません。いけません、が、なんで海ぶどうを盗むようなことになってしまったんでしょうか。確かライブハウス経営などされてたはずなんですが。

沖縄といえば、前出のはしもとさんは、先般バイオリンを購入されたそうです。
ヒグチン氏の「なんでバイオリン?」という問いに対し、彼女は「いや、前から欲しかったから」と、答えておられました。

私もほぼ同様の理由で、以前沖縄で「三線(さんしん)」を購入したことがありました。
前から欲しかったんで。

何回目かの沖縄行の際、あれは中部は石川という市内、これも例によって道に迷い、住宅街中を徘徊しておりました。
赤い屋根の連なる街中。ビルなぞ無いので、青空がやたら広かった覚えがあります。
酷暑の時期だったので、通りを行く人影も無く、ただただセミの鳴き声のみ聞こえる、静かな住宅街でした。

あの時の情景の記憶はおそらく生涯消えることがありません。遠くから、ふと、そして突然聞こえてきた三線の音色。
音にひかれて歩いていくと、とある家の縁側で、木の幹のような肌のジイサンが、三線を奏でておられました。

いかにもヒマつぶしなその風情に打たれました。
こういうイキなヒマつぶしができるようになって、初めて一人前なのではなかろうか、と。

楽器には、相応しい風景というか季節があるように思います。例えば津軽三味線には厳冬の、吹雪く風中、ハーモニカには薄の野、トランペットには夕焼け、などが(私的には)「いとをかし」です。
で、沖縄の三線には、直射日光が良く似合う。

三線の第一人者である故嘉手刈林昌氏も、生まれてからずっと日なたで育ったみたいな風体でらっしゃいました。
節くれだった指と、真っ黒でシワだらけの顔と、その奥に全てを達観しちゃったみたいな鋭い眼。
アコガレのジイサンの一人でありました。

そんなわけで、欲しかった三線、昨年(一昨年だったかも)の夏に一念発起して購入しました。

花の森(これは3年前くらいの写真です)沖縄の北部に、名護という町があります。

沖縄高速道の北の終点、許田というインターを出て、さらに北上すると、やがて名護市街地に出ます。
ここからさらに北上すると、仲尾次というところに出まして、そのほど近くに、花の森、というところがあります。

花の森は、1996年6月、当時中学生だった女の子が、誘拐されて殺された、という事件をきっかけに作られた「施設」です。
小高い丘の上に、地域住民の皆さんの手作りによる豪奢な小屋がありまして、ここが地域の一種の寄り合い場になってます。

発起人である運営者でもあるのは「子供たちを守る会」の皆さんで、地域パトロールや、この小屋での各種相談、毎日行われているという、泡盛etcを囲んでの「会合」、また、あえて名前は伏せますがチョー有名なバンドのリーダー氏も関わっておられる関係もあってか、最近は敷地内にライブハウスというかスタジオも作られまして、地元のアマチュアバンドにも解放してたりするそうです。

さらに、喜納昌吉氏も関わっておられるそうで、「守る会」の皆さんらによって結成された「花バンド」は氏のスタジオでもってレコーディング、CDんも出されています(私も何枚か持ってます)。

「花バンド」の皆さん。その節はお世話になりました。花の森についてはそのうち詳しくご紹介するとして、私はここの・・・肩書きはわからないのですが、とにかく一番エラい責任者の方の娘さんと友達で、訪沖するたびにこの「花の森」に、色んな面でお世話になってる次第です。
で、昨年だったかに訪沖した際、この「花バンド」の皆さんに、三線の弾き方を多少習ったりしたんです。

もう既に三線は購入済みだったのですが、恐れ多くてそのことは伏せてまして、でも、とにかく習いたかったので、花の森にあるやつで教わりました。

しかし・・・ホントのところはどうだかわかりませんが、思うにこの楽器には基本的に弾き方のハウツーといったものは無いらしく、教える方も「ちょうどいい具合のところ(の弦)を押さえて、いい感じだなぁ、っていう力加減ではじくわけさー」とかいう感じで、結局ゼンゼンダメ、まるで思うように弾けず(当たり前ですが)、あえなく挫折したのでした。


※「花の森」について、2年位前、某情報サイトの取材でお邪魔したのですが、その時の映像が出てきました。
http://www.ageof80s.com/band2.rm
こちら、「花バンド」の皆さんの演奏風景で、

http://www.ageof80s.com/mori2.rm
こちら、「花の森」の、夜の風景です。
どちらもリアルメディアです。ストリーミングではないですが、2、3メガくらいなのでお気軽に観てみて下さい。


・・・なにしろ、チーとも弾けずに現在に至ってるのでした。
オレのやるとおりにやってみればイイサー、とおっしゃって、目の前で弾いてもらったのですが、いわゆる早弾きってやつで、とてもじゃないが出来まへんでした。

三線っていうのは、マムシの革(皮?)で作るんだそうです。ハブじゃないので。
で、この皮(革?)、当然ながら湿度etcによって影響を受けるそうで、もしかしたら東京じゃチャンとした音が出ないのかもしれません。

そういえば、ゴーヤーチャンプルー(「ゴーヤチャンプル」と発声し表記する人が多いですが「ゴーヤーチャンプルー」が正しい・・・らしい)も、沖縄で食べると、間違いなく東京でよりウマいです。
シークワーサーも、東京で飲むそのジュースも沖縄のも、どちらも果汁100パーセントであっても、これは気分の問題ではなく、具体的に味が違います。
その土地のモノゴトはその土地でやるがよろっし、ということですかね。


ワタシは挫折しましたが、はしもとさんはそんなことのないよう、ハゲんで頂きたいと思います。

投稿者 kome3 : 21:05 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月23日

オキナワでキジムナーに会ったかもしれない話。

先日オキナワの話を書いてから、イモヅル式にオキナワに関するあれこれを思い出しています。
なにしろ20回以上訪沖してるので、そりゃまぁいろんなことがあったわけで、それぞれ甘かったり苦かったり酸っぱかったりするのですが、中でも一番衝撃的だったのが、私的に「キジムナー遭遇事件」と呼んでる一件です。
“もしかしたらオレはキジムナーに・・・!?”
という感じで。

あれはもう5年くらい前になるでしょうか。
オキナワは全島的に雨がそぼ降っておりまして、ワタシは例によってウス汚いバッグひとつで本島内を放浪というか徘徊してたわけです。

ある日、雨の中、ワタシは道に迷いました。
本島内中部の某所です。住所は完璧に覚えてるけども、ここには書かない。
いかにも沖縄風の家々が並ぶ住宅街で、雨のせいか人影もなく、、車通りもなく、どこ行っても、どの角を曲がっても同じような周囲風景で、途方にくれておりました。

そしたら、とあるタバコ屋兼駄菓子屋みたいな店の前に、人影を発見。
年齢はあとからわかったのですが、17歳(当時)の、極めて普通の娘さんでした。

やれ助かった!と、ワタシは近づいていき、訊ねました。
“バスの通ってる道までは、どう行けばいいの?”
彼女は衒いもなく、自然な風体で道を教えてくれました。

お礼を言って去ろうとするワタシに、彼女は、これも非常に自然な風体で言いました。
“・・・にーにー、今日はどこ(のホテル)に泊まるの?”
ワタシはなにしろ「徘徊」中で、またある意味そんな徘徊を楽しむための訪沖でもあったので、当然ホテルなどをとってるはずもなく、その旨を素直に話しました。
そしたら、彼女は言いました。
“そんなら、今日はウチに泊まればいいさー”

確かに孤独な旅ではありましたが、さすがに若い娘さんの家に泊まるのは気が引け、丁重に断ったのですが、彼女はもう一人で決めてしまってる様子で、ワタシをなかなか開放しない。
聞くと彼女は一人暮らしとかではなく、父母、妹、弟、おじー、おばーという大家族だとのこと。
“だから、ひとりくらい人が増えても関係ないさー”
と、わかったようなわかんないような事を言う。

20分くらい問答した末、とうとうワタシは彼女の家に行く事にしたのでした。
これがPM7:30頃。

彼女の家に着きました。
招かれるまま、恐る恐る中に入ると、お母さんは髪の毛をタライで染めてる最中で、突然の見知らぬ客にも特に頓着せず、ああ、いらっしゃい、などと言ってる。
小六の弟と、中一の妹さんも、普通にTVなんか見てる。
おじーは、その後ろで寝てるし・・・なにしろ、「突然の来訪者」を迎える、って感じじゃなく、あまりにも自然すぎる皆さんなのでした。

ブタの足を煮込んだオカズと、シークヮーサーをデザートに頂いたのがPM10:00頃。
その後、弟さんが明日町内の将棋大会だってんで、その相手を務めたりしてました。
この兄弟3人とは非常に仲良くなり、アドレス交換などしたりして。

やがて、お母さん、
“では、寝ましょうねー”
とかいって、フトンをしいてくれまして、ずうずうしくもワタシは旅の疲れもあり、アッという間に寝入ってしまったのでした。

翌朝、将棋大会に赴く弟さんを送り、ちょっとお母さんのグチなどの聞き役を務め、失礼したのがPM1:00頃。

その後はまた沖縄徘徊の旅を続けまして、いよいよ明日は帰京という段になり、ちょっとご挨拶でも、ということで、軽いお土産など買いまして、またあの家を目指しました。

しかし、あの家が無い。

おそわった住所の周辺には、確かにあのタバコ屋兼駄菓子屋もあり、また風景も見覚えあるものだったのですが、肝心のその住所に、その家が無い。
またワタシは途方にくれまして、また通りかかった人に、教わったアドレスを言い、場所を伺ったんです。
そしたらその人はこう言った。
“??・・・○○町はここだけど、そんな番地無いさーねー”

「??」なのはこっちの方で、もはや軽いパニックですよ。

いつまでもパニクってても仕方ないので、そのまま帰京しました。


なんだか不思議な体験したなー、などと思いつつ帰京。
東京でのいつもの日常がまた始まりました。

それにも慣れた頃・・・帰郷後10日くらい経った頃でしょうか、携帯に見慣れぬNO.からのコール。

出てみると、沖縄のあの家のおかあさんでした。
「!?」という感じで、それでも取り乱すまい、と、フツーの挨拶とお礼など述べておりましたら、お母さん、強い沖縄なまりでいわく、
・ウチの娘(17歳の娘)が、こないだから家に戻らない
・なんか那覇のあたりにいるらしい
・いわゆる「援交」なんかもしてるらしい

・・・で、どうしよう、という相談の電話でした。

どうしよう、と言っても、こちらは東京なので、どうすることも出来ない。
しかし、こちらには一宿一飯の恩義があります。
その日は木曜でしたので、ワタシはその週末、また沖縄に行ったのでした。

沖縄につきまして、またその町へ行きました。
あのタバコ屋兼駄菓子屋もあったし、見慣れた風景もそのままで、なんと不思議な事に、あの家も、今度はアッという間に見つかりました。
先日はあれほど探したのに&住所そのものが無いとかも言われたのに・・・。

で、さらに驚いたことに、その家をたずねると、玄関先に出たのが、行方不明なはずのその娘でした。
“あれ!?どうしたのー、おひさしぶり~”
とか言ってるの。
どうしたのー?じゃないよ~!かくかくしかじか、と説明したのですが、彼女はキョトンとしてました。
“だって、ずっと家にいたさー・・・”
と。

とりあえずお母さんが戻るのを待ちました。
やがて、戻ってきたお母さん、
“あれま~、どうしたの~?元気でしたか~?”
とか言ってる。

もはや、説明する気力もなく、ちょっと世間話した後、失礼しました。
で、もうこの事は考えないことにしました。


その後現在まで、何回となく訪沖してます。
で、何度か「あの家」を探してみたりしました。
しかし、やはり、どうやっても、どう探しても、見つからないまま、現在に至ってます。


この話を、先般まで沖縄に単身赴任されてた知り合いにしましたら、彼はこともなげに
“ああ、そりゃキジムナーだナ”
と。

そうだ、あれはキジムナーの仕業だったんだな、と、今ではワタシも思っています。

投稿者 kome3 : 01:19

2004年11月19日

我が愛する沖縄・オキナワの話。

沖縄は北谷のバス停当サイト管理人はかつて「オキナワ」に関するWebサイトを作り、運営しておりました。純然たる個人サイトで、手前勝手にオキナワについてモロモロ紹介したりしておりました。

「おりました」と書きましたが、サイトそのものは今でも残ってまして、閲覧可能ではあるのですが、ゆえあって更新は残念ながらストップ中。
しかし、だからと言ってオキナワに対するワタシの「愛」が冷めてしまった、とか、そういうことはなく、多忙ゆえに一時ほどの頻度では無いにしても、ヒマとカネさえあればいつでも・どこからでもまた赴く気マンマンでおります。

※左の写真は、沖縄は北谷です。クリックすると別画面で大きな写真が出ます。

ところで、大橋巨泉氏は、決してオキナワに行くことは無いそうです。
先の大戦時のことを思えば、気軽にオキナワに行ったりなど出来ないし、するべきではない、というポリシーだそうです。
ワタシはこの10年で22回ほどオキナワに行き、都度、長くて1ヶ月ほど長逗留したりしてますので少々矛盾もあるやとも思いますが、この意見には同意できる部分も多いです。

ワタシの作ってたサイトに「はじめに」ということで、以下のような一文をのせていました。
以下そのまま引用。


最近は真夏の時期だけでなく、沖縄には、いつでも観光客がいっぱいです。
国際通りを歩いてると、みるからに観光客、という人の多いこと。

確かに沖縄には、観光地として観るべきものが非常に多いです。
広い空に、青い海・・・。また、そういう観光客のための、お土産屋さんに、ホテルもたくさん。
観るべきものに、観に来る人達を受け入れるもの、と、観光地としての完璧な機能をみせる、現在の沖縄の姿が、そこにあります。

しかし反面、沖縄に住み、暮らしている人達が、私たち内地からの観光客に対して、ある種の微妙な感情を持ってらっしゃることも、私たち内地の観光客は感じることができます。

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内地、及び私たち内地の人間は、沖縄及び沖縄の人達に対して、歴史的にもかなり苛烈な仕打ちをしてきました。これは紛れも無い事実です。古くは、琉球政府に対する搾取、そして第二次大戦。
・・・恥ずかしながら最近までよく分かってなかったんですが、私たちは実は加害者だったんですね。

こういうホームページを開設しちゃうくらいですから、私は沖縄が大好きです。

でも、沖縄の人は、・・・もしかしたらそうじゃないのかもしれない。

そう思うのは、決して「沖縄の人達が過去の諸々を根に持ってるにちがいないから」ではなく、私などがそういう過去の諸々を見つめることも無く、ホントに単なる「観光客」としてしか沖縄を見てないから、のような気がするのです。
本当のところ、沖縄は、単なる観光として、なんにも考えずに訪れたりしちゃいけないところのような気がしちゃうんです。
って言うか、我々内地のニンゲンは、それほどまでに厚顔無恥で良いのだろうか、と。

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だから・・・ホントに「だからこそ」なんですが、このホームページでは、あえて他のどこにでもある「観光地」に向けるのと同じような目線で、沖縄に取り組んでいきたいと思います。
あくまでも、なにも意識することなく、沖縄を見ていきたい。あえて。

私などが安直に「贖罪」めいたことを口にしたりすることの方が、我が愛する沖縄に対して礼を失することになるような気がするんです。
そんなに私はエラくない、と。
また、どんなにえらそうなことを言ったって、所詮は「単なる観光客」でしかないんだし。

このホームページでは、あえて他のどこにでもある「観光地」に向けるのと同じ目線で、沖縄にとりくんで行きたいと思っています。

胸中に、大いなる尊敬と畏怖(?)を秘めて。


・・・これをモノしたのがもう5年くらい前で、なんだかキザなこと書いてますが、概ね現在でもその意見そのものは変わっておりません。

以前、県議会議員選挙の真っ只中に訪沖したことがあったのですが、各候補の公約が大同小異、ほぼ皆さん同義の内容のものがひとつだけありまして、大変・・・なんというか、ビックリした記憶があります。

「内地企業の侵略を阻止します!」

というものでした。
表現は様々でしたが、間違いなく「侵略」という言葉を使ってた方もおられました。

確かに内地からの大資本が来たら、県内の企業にはそれに相対するだけの力があるはずもなく、それは「侵略」以外のなにものでもない・・・これは事実かもしれません。
同時にこの「侵略」というのが、これが県民の皆さんの本音かもしれません。
県民の、というか、県そのものの持つ本音かも。

オキナワというところは、非常にアクが強いというか、単なるサラッとした観光地である以上の空気があるところです。
最近、観光リピーターや、移住希望者も増えているとのことですが、そのキモチ、めちゃめちゃよく分かります。
現にワタシも、ついこないだまで、本気で移住を考えてたりしました。

2、3回オキナワに赴くと「サラッとした観光地」以上の部分に否が応でも触れることになったりします。
その結果が移住への希望(羨望)であったりするわけでしょうが、思うに、・・・これはまぁオキナワだけに限った話ではありませんが、そうそう簡単に、「観光」以上のレベルで深部に入っていくべきではないような気がします。
移住を考える前に、もう一度、内地人として考えるべきことがいろいろありますよ、きっと。

投稿者 kome3 : 16:03