2007年01月19日

日々雑感。

いきなりですが、アート・バックウォルド氏が亡くなったそうです。
当サイト管理人はいわゆる「翻訳モノ」ってのはほとんど読まないのですが、氏とボブ・グリーン作品だけは例外で、濫読してた時期があります。

読まない・避けてる(?)理由は、なにしろ翻訳者を信用しない、という事だったりするのですが、この両氏の作品の訳者氏は例外的に信じられるというか、元文のエッセンスをちゃんと伝えてくれてる・・・ような気がします。少なくとも私にそう思わせるだけの力量がある、と。

閑話休題。
以下は、この年末年始における、当サイト管理人の「雑感」です。
一部、限りなく私信に近い内容もありますが、それはそれで。
  
 
■年末年始、「机上風景」様の忘年会・新年会に参加しました。
新年会において、しゃべりかけたタイミングで店員が会場個室に来てしまい、中途半端で終わった話がありまして、どうにも気持ち悪いのでここに書きます。
 
その1。
「乾かせないもの」のユチカがハナ肇のキャラとカブる、というのは、これだけだとちょっと不正確で、なにも新春かくし芸大会のブロンズ像やクレージーのバンマス像と似てるとか言ってるわけではなく、あくまでも山田洋次監督諸作品の中においてハナ氏が演じているキャラクターのあり方に近い、という意味なのであります。
具体的には、「いいかげん馬鹿」「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」「なつかしい風来坊」でのそれであります。

生まれてこの方30余年、いろんな場所で、且ついろんな形態でもって、「自分の意見を述べる」という行為を為してきましたが、これほど誰からの賛同を得られなかった経験は無い。皆無。ゼロ経験値。
でも、ホントにそうなんだから仕方が無いです。
  
 
その2。
18歳未満には「インターネット」などに触れさせてはいけない、という事柄については、
http://www.ageof80s.com/mt/archives/000014.html
ここに詳しく書きました。
最近ではさらに、もう18歳未満はTVも観ちゃダメなんじゃないか、と思ったりしてます。
 
 
■中学時代の同級生らと、忘新年会に参加しました。
2次会はカラオケBOXだったのですが、・・・あのね、カラオケで「メドレー」はいけません。ダメね。長いからね。
また、特に「ビートルズメドレー」はいけません。ギターソロが長すぎる。
 
 
■当blogの設置してあるサーバの管理会社から、CGIが暴走している旨の連絡が来ました。
しかし、別にループしてたりするはずもなく、なんでかしら?と調べて見ましたら、当blog、新年のある日1日のアクセス数が、24時間で数万ありました。
さらに調べてみると、みんな某芸能人及び某有名人氏の名前で検索して来た人でした。
サーバが飛ぶほどのアクセスってスゴいなぁ、と思いましたが、考えたら単にサーバがショッパいだけかも。
 
 
■亀田長男が、L・フライ級の王座を返上したそうです。
かくして彼は、その階級の世界王者でありながら、ナチュラルなL・フライ級の選手と全く戦わないまま王者生活を終える、という次第になったわけです。
・・・非常に不自然であることだけは間違いないですが、とにかく亀田にはガンバって欲しいと思います。ホントに。
 
 
■アケボノ選手は昨年大晦日、またもは敗北。ジャイアント・シルバ選手のアームロックにあえなくタップしてしまったとのこと。
秋山選手のヌルヌル事件といい、もうね、K-1もHERO'SもDyamite!!も、もう止めた方がいいんじゃないか?と思う次第です。

近々、あの辰吉と対戦歴のあるシリモンコン・シンワンチャーもK-1に出場するらしいです。
先だっての大晦日には鈴木悟も出たとか。
・・・もう何度もここに書いてますが、他競技を「体力の限界」もしくは「継続が難しいほどの怪我」などによって引退した選手が当たり前のように出場するこの興行達、いったいなんなんでしょうか。
柔道を引退したルスカやヘーシング、アレンが出てきたり、相撲を辞めた輪島や北尾が出場してきた「プロレス」と、なんにも変わらないじゃないか、と思うのですが、我々は(プロレスとは違って)真剣勝負であるみたいな雰囲気がある分だけよっぽどタチが悪い、と。
 
 
■その総合格闘技、秋山選手のヌルヌル事件ですが(っていうか「ヌルヌル事件」と言うネーミングも何とも言えませんが)、あんまし言われて無いようですが、桜庭戦以前の総合格闘技戦でもちょっと怪しい、というか、対戦相手が怪訝そうだったり、もしくはあからさまに抗議してた事があったような気がします。
無期限出場停止なんだそうですが、無期懲役は決して終身刑ではないですからね。
カムバックはタイミング待ちで、という感じなのでしょうか。
あと、なんか右手にメリケンサックはめてた、ってな話があるみたいですが、写真をみる限り、あれはバンテージっぽい気がしますがどーでしょうか。
 
 
■今始まったことでは無いですが、取材・撮影したりWeb作ったりの仕事をしてますと、その当該物への執着が、いつしか興味・関心になり、果ては往々にして「好意」みたいなものに変質したりします。
馬に乗ってみたいし、最近はエアガン射撃をやってみたかったり、若しくは精密競技場エアガンを買ってしまいたくなってたり、またフットサルという競技にも少々「関心」があったり、あとまた不動産という「ジャンル」に「興味」があったりしてます。
そういえば古事記・日本書紀をガツガツ読んだのは某神社でいわゆる「神楽」の取材をしたからだったし、ポツポツとプロレスを観戦etcするようになったのは、当時新日本プロレス所属だった小島聡選手の取材をしたのがきっかけでした。
でもって、当サイト管理人は、なんであれ「飽きる」という段階に達するまでの期間が普通の人の倍くらい所要する=要するに何やってもなかなか飽きない、という傾向がありまして、その結果、仕事とは別に「やんなきゃいけない(気がすまない)事」というのが日々増える一方だったりします。
かつて、生前の遠藤周作氏がそういう感じだったそうで、そういえば氏はやれ劇団をやったり、TVやCM出てみたり、諸々常に大忙しだった由。
で、そういう氏に対して北杜夫氏は「悪性の躁病」と言ったりしてました。
当サイト管理人も、もしかしたらちょっとそういう傾向があるかも知れない。
 
 
■正月早々、なんか妹を木刀で殴る&フロで溺死させてバラバラにして乳房と下腹部を切り取って内臓をタッパーに入れて保管して自分は予備校の合宿に行き、さらに合宿にその妹のパンツを持っていった、などという事件があった由。
「異常な猟奇殺人」としか言い様が無いですが、これを「異常だ」ってこと(だけ)で括ってオシマイにしてしまうのは非常に危険で、実際この犯人はとりあえず現代医学の範疇においての精神障害etcがあったりするわけではない(らしい)ので、ここはあえて「異常で無い犯人がなぜここまで為しえたか」って切り口で考え、議論しなければいけない・意味が無い・・・と、かつて佐瀬稔氏が著作に書いてました。
金属バットで両親を殺害した浪人生、足立で女子高生を拉致して「なぶり殺し」にした数名、同級生をカッターナイフで殺した女子小学生・・・みんな、やっぱちょっとアタマおかしかったんじゃん?ってな事で括ってしまえば、ラクだし、ぶっちゃけワレワレ(アタマおかしくない人)も安心できたりするんですが、決して彼らはいわゆる「異常者」ではなく、にも関わらずこういう「異常な」行為に至った・・・これこそが何よりの問題なわけですね。

もしかしたら、誰でもこういう事をしちゃうかもしんないわけですよ。
 
 
 
・・・この他、例えば「雨あがる」「たそがれ清兵衛」「トラック野郎シリーズ各編」を観た、とか、いろいろあるっちゃあるんですが、それはまた追って。

投稿者 kome3 : 13:17

2006年04月08日

(※18禁)亀戸の少女、かく語りき。

今回の記事には、18歳未満の方には相応しくない類の語句が満載です。
っていうか、社会通念上、「好ましくない」内容になってます。
しかしながら、当サイト管理人は、彼女のそんな「好ましくない」とされる発言、所業に惹かれるところがあります。

ニンゲンは弱いもんですから、なにかとオノレを正当化したりするし、したがるもんです。
そのために、新たなカテゴリーがセッセとデッチあげられ、名詞化されていきますね。

売春はいつしか「援助交際」になり、SEXは「エッチ」などという耳障りのよい言葉になりました。

こういう新語にオノレを委ねて、借りてきた言葉(拓郎風)で、なんかエラそうなリクツこねてるヤツら=いろんなモノゴトを「背負う」事から逃げ、現実の自分から逃げつづけてるヤツらより、今回登場するユイちゃんは、ホント、ナンボかエラいです。

ニンゲンの価値ってのは、なんと言いますか、「多面性」というか・・・オノレの持つ「明部」と「暗部」もしくは「強さ」と「弱さ」の差が、そのまま「魅力」の強さになるような気がします。
暗闇を語る彼女の口調はあくまでも明るく、そのギャップがそのまま彼女の魅力になってる、そういう感じがしましたです。

繰り返しますが、今回の記事には、18歳未満の方には相応しくない類の語句が満載です。
そこんとこに注意して・・・では、「続きを読む」をクリック!
 
 

「あたしら、はっきり言って現役じゃないのね。でもおととしくらいまではちょーバリバリだったのね。
最近成人式で暴れてるバカがいるでしょ?あれ、マジでバカ。バカすぎ。20歳じゃとっくに引退。引退してなきゃダメ。
いいトシして暴れてるの、あれは結局ハンパなヤツなの。ウチらハナで笑ってるよ。ウチらの前でやってみ?って感じ。

今、なんか、先輩が(刑務所に)入ってるんだけど、来月出てくんのね。で、そんときちょーヒサビサに集会すんの。

下の子とか今バリバリやってっけど、ウチらOB?OG?どっちでもいいじゃん、とにかくもう昔みたく流したりしないから、うちら。

だから、ひさびさに流すの、かなりウレシいわけね。

わかる?・・・わかんないよね。いいんだけどさ。」
 
 
 
「…マジうれしいよ。今から愉しみ。彼氏いま仕事ないんだけど、軽くバイトはしてて、・・・あ、2こ上なんだけど、単車も売っちゃってて、もうオレ走んないとか言ってんのね。

はっきり言って今カジテツ(家事手伝い)状態で、マジバカこいつ、ってカンジなんだけどー、先週、これ(十字架のネックレス)くれたのね。

マジうれしかったからさ、一回もはずしてないのね。風呂もいっしょ、寝るのもいっしょ、で。」
 
 
 
「…エンコーとか、なんか今コワいじゃん?だからこっちからはゼッタイ言わないのね。でも、ちょーきたねージジィとか、こっちがなんにも言わないのに金くれたりすんのね。

そういうの、なんかムカつくじゃん?

でさー、ユイとか『ざけんなよジジィ!』とかすぐ言っちゃうのね。
ユイのこと、カネやればなんでもやらせる女だと思ってるってことじゃん?

それ、ちょー失礼。マジムカつく。マジムカ。

・・・でも、時際そうなのかもしんないけどね。はは。」
 
 
 
「テレクラ、出会い系、そういうのとかすんじゃん?なんかすげーキモいオトコ多いよね。『ハァハァ男』とか。

わかんない?いきなりシコってんだよ、たぶん。ビデオとかあるんでしょ?テレクラとかって。

『こいつ、終わってるよ』とか思う。家でシコれよ、ってカンジ。

出会い系でもさ、ちょーキモいカキコとか文面あるんだけど、書いてる男の顔とか想像しちゃってダメ。

はっきり言って、エッチとかすごい好きなのね、ユイ的には。

初めて会うオトコで、ノリいい子だと最高なのね。

でも、最近ナンパも、テレクラとか出会い系も、いないよ。キモいのばっか。

だから、メンドイのもあるし、最近逆ナンとかしちゃう。

でもウチらとかヤンキーじゃん?服とかないし、ダメ。ギャルの娘とかがいいんでしょ?みんな。」
 
 
 
「エッチ好きだって言ったけどさ、チンコ入れて欲しいっていうのと、ちょっと違うんだよね。

みんなはどーかしんないけどさ。ユイ的には、ホントはチンコとか好きじゃないのね。

いっしょにいてくれればそれでOK、みたいな。

あったかいのが好きなのね。ふとんの中とかでさ。

でも、みんなチンコ入れなきゃダメみたいじゃん?だから、しょうがないから入れさせてやんの。

いっつも『早くおわんないかな』とか思っちゃうよ。

終わってからさ、背中にくっつくのが好き。

終わると、なんかみんな背中向けるよね。オトコってさ。彼氏は違うけど、ナンパのオトコとか、みんなそう。

チンコしか気持ちよくないじゃん?オトコって。でも、ユイ的にはマンコ以外の方が気持ちいいよ。
・・・わかんないよね。男には、ね。」
 
 
 
「彼氏とか、スゴいパチンコ好きなのね。

でも、カジテツだからカネ無いじゃん?だからユイが出してあげんの。

ちょー信じらんないよね。

彼氏の親、ユイのこと嫌いでさー。

会ったときとか、ユイにケリとか入れてくんの。

痛いし、…っていうか、ちょー悲しいよ。」
 
 
 
「子どもとか好きなのね。

でも、自分のガキとか、想像できないよ。

っていうか作りたくない。

ユイみたくなったらヤじゃん?

それに、チンコ嫌いだしね。はは。」
 
 
 
「チンコ入れらててて、気持ちいいとか思ったことないよ。

マジで無い。

『早く終われー』ってのが、通常。

カネ無いときは、しょーがないからエンコー相手探す。

あと、彼氏がしたいとき。

そういうとき、しかたないから、チンコ入れさすよ。

で、いつも『早く終われー』って。

サビシい女?

だって、チンコ入れさせないと、どっか行っちゃうじゃん?オトコって。

どっか行ってほしくないもん。

マンコでしばってんの。」
 
 
 
「走ってたときとかが、ユイのアクションバージョン。黄金時代。

でも、毎日とか、もうキツいね。オトコといたほうがいいもん。

チンコ無いオトコがいいね。オカマはヤだよ!はは!」
 
 
 
オチはありません。
 
 

投稿者 kome3 : 01:42 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月09日

ささやかながら追悼する。

こういう肩書きは彼女の場合、誰よりもピッタリなような気もするし、またもっともそぐわないような気もし、いずれにしてもどうにも収まりが悪い心持だったりするのですが、「AV女優」の林由美香さんが先日亡くなられてしまいました。享年35歳。

彼女とは、彼女のAVデビュー前にホンのちょっとだけ接点を持ったことがありましたので、なんというか、他人事とは思えない、というか、100%客観的にこの事実を見据えることが出来ずにいます。

以下、例によって引用、日刊スポーツの記事です。

AV女優林由美香さん遺体で発見、死因不明
 アダルトビデオなどで活躍した女優林由美香(はやし・ゆみか、本名・小栗)さんが、都内の自宅で亡くなっていたことが29日、分かった。35歳。電話に出ないことを不審に思った母親が28日未明に1人暮らしの自宅を訪ね、死んでいるのを発見。警察などに通報した。自宅は施錠されていなかったという。死亡日時、死因など詳細は不明。警察は行政解剖したが、事件性はないとみている。27日が誕生日だった。
 80年代末のAV全盛期にデビュー。美ぼうとスレンダーなボディーでトップアイドルになった。97年の主演映画「由美香」は異色のドキュメンタリー作品としても高く評価され、一般劇場で公開された。
 最近は年に十数本の成人映画に出演し、欠かせない存在になっていた。林さんと4月に会った映画関係者は「元気で変わった様子はなかった」と話している。

彼女がその半生を賭したいわゆるAV業界において、彼女のことを悪く言う人は殆どいないそうです。
そういや上記した私の「接点」に関連する人物も、・・・いろんな人のことを悪く言いがちなタイプなのですが、彼女の事は決して悪くは言いませんでした。
“いいこだったよ・・・”と、珍しく繰り返し言ってました。
彼女のお通夜だか葬式には、600人とかいうレベルの人が集まったそうです。

それがAVであろうとなんであろうと、自分の従事する職業の業界で「悪く言われない」というのは、理想です。
それだけ自分の「職業」に対して誠実であった、ということに他なりません。
そうでなければ、このアホみたいにうつりかわりの激しいAV業界において、20年近くも活躍できるはずがない。1年くらいで業界ひとまわりして消える、というのが「AV女優」の典型像ですが、80年代末にデビューして以来、現在まで一線で活躍してた、というのは、この業界的には奇跡に近いことでしょう。
見習わなくてはいけません。

また、彼女は存在感がスゴかった。
舞台だろうが、ブラウン管上だろうが、写真上であろうが、どこにもってっても飛びぬけた存在感を示してくれました。
僭越ですが、「彼女こそ“名女優”であった」と言いたいです。

上に引用した新聞紙面では、「AV女優」という肩書きが採られていますが、繰り返しになりますがこういう肩書きはとうもシックリこないです。
彼女は「林由美香」であって、それ以外の何者でもないからです。
AV女優でもあったし、風俗嬢でもあったし、いわゆる女優さんでもあったわけですが、それらを全てひっくるめた「林由美香」であって、それ以上でもそれ以下でも無かった、と、思います。

これもまた僭越ながら・・・オグリさんさようなら。ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 kome3 : 04:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月13日

見てないと思ったら大間違いですよ高木君。

kijologo.jpg当サイト管理人の中学時代からの友人に、高木登(本名)というのがいます。
ジャニーズのなんとかってグループのドラマの脚本担当だったり、なんとかっていう劇団の座付作家だったり、いつだったかに公開されたなんとかって映画の脚本担当だったりなど、幅広く活躍されている、才能に溢れた作家センセイであります。
正月早々年賀状で「オレはもう死ぬかもしれない」とか書いてよこしたかと思えば、「ジャ○ーズ系のビデオはやたら売れるのでありがたい」などとあまりにも俗すぎるメールを送ってきたりなど、正に八面六臂に大活躍な彼です。

中学時代、彼とはよく遊んだもんです。映画観に行ったり、人生ゲームにふけったりしたもんです。
興に乗りすぎて彼の家の2Fから落ちたときについた傷跡が、未だにワタシの全身のそこかしこに残ってます。
また自転車に乗れなかった彼との行動は常に徒歩で、映画観に行く時などは江東区は門前仲町から中央区築地、日比谷までセッセと歩いたもんです。嗚呼、オレも若かった。もう乗れるようになったのか36歳。

そんな彼、なんだか最近はWebサイトなども持ってたりする(個人のってわけじゃないみたいですが)ようで、さらにそこに「日記」に、あろうことかワタクシに関する記述を発見してしまいました。しかも2回も。
サイトそのもののアドレスはhttp://www15.ocn.ne.jp/~kijou/index.htmlこちらになります。この中にある、彼の2月8日&11日分としての記述です。

その一部を無断転載しつつ。


ボンクラ中学生だった頃、彼とyoshitoと三人で、旧文芸坐に「少林寺」と「燃えよドラゴン」の二本立てを見に行ったのは一生の思い出です。あれは我々にとって「桃園の誓い」のようなものでした。

・・・はいはい、そういやその三人でもって行ったですね文芸座。あれは確か「少林寺Ⅱ」だったはずですがそんなことはどうでもよく、当時もあのあたりは極めてイカガわしい店が並んでましたが、文芸座の一角だけは、なんというか、神聖なオーラみたいなものに満ちてましたですね。決してオタクではない「映画愛好家」の空気、というか、ね。

「桃園の誓い」。これは確か三国志(?)のエピソードですよね。
やはりどう思い返してもあれは「少林寺Ⅱ」で、よく考えたら一緒に行ったのはyoshito氏じゃなくて彼の嫌いなI岡か椿Dだったような気もしてきたりなど、疑問点も多いこの一文ですが、この言葉はイイですね。まず語感からしていいし、その当事者の三名、玄徳と関羽と張飛の若き姿も魅力的です。
玄徳と関羽と張飛はその後志半ばで死んじゃうわけですが(違ったかな?)さて、我々はどうでしょうね。

yoshito氏もキミも、その才能の向くまま命ずるまま、日本国的にはあまり望まれてないタイプの人生を歩んでおられます。
キミ程の才能の無いワタシは、なんとなく国家推奨型のプロトタイプにしがみついてる感じです。
どちらがどうなるのかは判らないし想像もつきませんが、なにしろいつまでも「われら生まれた日は違えども、死す時は、同じ日、同じ時を願わん」というフンイキでありたいものです。

「桃園の誓い」、これを超拡大解釈し、その後何かを生み出すきっかけとしてのデキゴト、という風にも定義つけるとしたら、ワタシにとってのあの時期・・・キミらとヒマさえあれば映画の話をし、また観に行ってたあの時代は、正に「桃園の誓い」の時期でした。
あの時期はやたら映画を観まくってましたが、それがやがて自分でも作りたくなり、その思い余って日芸などに進学を志すようになり、卒業後アレヨアレヨという間に映像関係の職にありつき、現在に至ってる、という感じです。
あの時、あれほど映画三昧でなかったら、今頃オレサマはなにしてるだろうか。・・・いや、全く想像できません。

ワタシはキミらと違って13年間ほどいわゆるサラリーマン生活を経験しました。
在職中は自分でも認めたくなかったし、またそれを口にすると場合によってはキザに受け止められかねない、という衒いもありまして、現在まで誰にも言わないで来たのですが、やっぱり、というべきか、ワタシにはどうやらサラリーマン生活は向いてなかったようです。背広を着ないでも良い職種だったから13年も耐えられたようなもんです。
また、後半の5年程は、半ば勝手に且つ強引に自主管理勤務体制、直行直帰の生活をただ一人決め込んでたからよかったので、これが禁じられ、毎日定時の出社を義務付けられてたりしたら、ノイローゼで死んでたかもしれません。
しかし、それでも13年が限界でした。で、今になっていわゆる脱サラ、独立し現在に至ってるわけです。
あの時期、映画三昧の日々を送ってなく、自分で映画(など映像作品)を作ろうなどと考えたりせず、日芸など志さずにフツーの文系大学に進学してたら、13年どころか定年までリーマン生活を続けなければならなかったかも知れない。そう考えるとトリ肌が立ちますマジで。おそらく中途でクビになってはいたと思うのですがね。

ところで、この業界において13年間のリーマン生活を経ての独立というのはどーなんだ?「今さら」感・手遅れ傾向はホントに無いのか?・・・といった「ぼんやりとした不安」が、心のヒダにこびりついています。
キミは最初っからそういう選択はせず(2、3日は会社勤めしたんだっけか?)、スタートからいわば独学で現在までやってこられてるわけで、そういう部分、ワタシは無条件に尊敬しますですよ。
そんな意味も踏まえて、出来るだけ長く「われら生まれた日は違えども、死す時は、同じ日、同じ時を願わん」ということで、宜しくお願いします、ね。


・・・ところで、人間の縁というものは摩訶不思議なもので、中学時代には高木氏以外に、大学時代にはhiguchinsky氏以外にもワタシには仲の良い友人がいました。
ありていに言って、当時彼らより仲良くツルんでたヤツらもそれなりにいたです。
しかし、その後数十年を経て、未だに年賀状やメールのやりとり、場合によっては仕事の相談などが出来ているのがこの二人。もっと仲の良かったヤツらとは疎遠になってるんですが、なんなんだろうか、この二人ってば。これがエニシというものでしょうかね。

あとですね、これも高木氏の日記からの無断転載ですが、
(higichinsky氏の)日記には「しかしドンちゃんの服ほんと昔のまんまだった。」とありますが、わたしに言わせると中学時代からあのまんまですな(爆)。
・・・考えてみたら、そうです。基本的にワタシの服装・・・単にファッションセンスの系統が、という意味でなく、具体的な服装そのものが、中学2年当時と今とで大差無い、どころかほぼ同じです。
14歳の当時と36歳の現在とでほぼ同じカッコしてるというのは、これはヤバいですね。反省することにします。

投稿者 kome3 : 00:39 | コメント (0)

2004年12月21日

旧友再会その3・・・再会果たす。

当サイト管理人のノーミソは非常にシンプルなので、聞き上手な人に相対すると際限なく話しつづけてしまいます。
同時に、なんというか、直線的な思考回路というか、太く長い一本道のような、札幌駅前のような筋で物事を考えるので、あるきっかけを得るとイモヅル式に色んな事を思い出し、より一層話がとめどもなく続くことになります。
これらの条件がバッチシと揃う事はメッタにないのですが、昨晩はその稀有な機会でした。

11月3日、18日にも書きました、はしもとゆかさんhiguchinsky氏と、ようやく再会する機会が得られました。
話上手で、なにより聞き上手なお二人との再会は、久々に心から楽しいものでした。

○年ぶりに誰かと再会する、という機会自体、人生においてそうそう有ることではありません。
ましてや、。我々はナンだカンだと16年ぶりくらいにはなります。
今までここで何度も何度も書いてますが、我が学生時代、特に大学時代は、もはや太宰並に恥ずかしきことのみ多きもので、本来なら再会し往時を懐かしむなんてことが許されるわけもないのですが、こうして16年ぶりに再会し、語らうことが出来る・・・このことはワタシなどにとっては有る意味僥倖でもあります。

そういう貴重な機会の舞台としてワタシの選んだ、且つ推し進めたのが、我が地元の焼肉屋。

皆さん、高田馬場だとか都立大にお住まいだというのに、集合場所が我が地元。ウチの近所の焼肉屋。

しかも今回は、有る意味強引な展開によってHiguchinsky氏のオゴリにより執り行われる次第になったというのに、会場は、ぶっちゃけなんの変哲も無い、ただワタシが長年おなじみにしてるというだけで勝手に選んだ、近所の焼肉屋。

・・・この傍若無人なワガママっぷりというか自分勝手っぷりには我ながら呆れます。逆の立場だったらキれます。

しかも、これだけでも充分とんでもない非常識であるにも関わらず、快くそれらを受け入れ、しかも店の最寄にまで出向いてくれたはしもとさんは
「やぁ、ドンちゃん、ひさしぶり~!」
と、明るく且つやさしく挨拶してくれたにも関わらず、それに対するワタシの返答=16年ぶりに再会する相手に対する第一声は、下記のようなものでした。

“いや、ひさしぶり、っていうけどさ、我々大学時代、多分ひとことも話した事ないですよね”

いや、もうね、こんな非常識なヤツはいませんですよ。
失礼にも程があります。限度ってものがある。っていうかバカですね。
決して悪気はなく、実際はしもとさんはワタシにとってある種「雲の上の存在」だったりしたので、極めてロクデナシだったワタシが話す機会などあるわきゃなかったわけですが、もはやそういう問題ではない。
逆の立場だったらその場でパンチです。グーパンチ。

しかもこの非礼に気付いたのが、ついさっき。
それまでワタシはヘラヘラと勝手なことを話とばし、勝手に楽しんで帰宅し、何事も無かったかのように眠り、目覚め、仕事し、先ほど帰宅した次第です。
帰宅し、はしもとさん、Higuchinsky氏のサイトの「日記」を拝見拝読し、“ああ、オレサマが出てる!”などと、勝手に照れたりしまして、その後ようやく気付いた次第で、24時間以上この非礼に気付きませんでした。
きっとワタシは、学生時代に縁あった人たちには、徹頭徹尾、死ぬまで非礼を続けていく運命なのかもしれません(絶縁されなければの話ですが)。

そんな極めて非常識な非礼にも関わらず、はしもとさんもHiguchinsky氏との「焼肉を喰う会」は、この上なく楽しいものでした。
この際ですので(?)、失礼ついでに書いちゃいますが、なにしろ16年もの年月を経て、みんなどれだけ老けてるか、どんなジジィババァになってるか、などと、ちょっとだけ考えないでもなかったのですが、皆さんゼンゼン変わってなかった。
いや、どちらかというと、非常に魅力的な齢の重ね方をされてるご様子でした。
魅力的な、理想的な30歳台像がそこにありました。

MACはどうだか知りませんが、Windowsのマシンは、長い事使ってますと、キャッシュだとかに少しづつチリというか芥が溜まっていき、やがてそれらは動作不良だとかの原因になります。
パソコンの不調を訴える人に、こんな説明をするたびに、ワタシは人生を考えます。
つまり、ニンゲンも、長い事生きていると、心身に知らず知らず様々な芥が蓄積し、「身」の場合それはしばしば成人病(生活習慣病)の要因になり、「心」の場合、それはそのまま、その人の所作からかもし出される「オーラ」となって表出されることになります。
具体的に言うと、その年齢において魅力的な男もしくは女であるか否か、という形で。

パソコンの場合と同じく、バランス良く、且つ深く酸い甘いを味わって年齢を重ねることが出来れば、それらの芥は転じて芳醇な魅力となり、そのままそれはその人の威厳などなどに転じます。
ゆえに、ニンゲンは、上手な年齢の重ね方をしなければいけない。
その時その時の年齢に相応しい人格でありたい・・・などなど。
ただ芥ばかり溜め込んで、イヤなトシの取り方してる人ってのも・・・よく見かけ、会いますが、そういうこっちゃイカンなぁ、と、常々思いますです。

では、具体的にどうすればいいのか、ということになると、これは簡単で、とにかくガンバらなくてはいけないのであります。
再会した両氏とも、それぞれの分野でガンバっておられる。
この度の再会が愉しいものだったのは、みんなが今まさにガンバってる最中だから、かもしれません。


聞き上手なお二人にある意味引きずられ、ワタシは例によって勝手にしゃべりまくりました。
同時に、お二人の話も、感嘆したりしつつ興味深く拝聴いたしましたです。
また、同級生達の現況なども、たくさん、たくさん聞くことが出来まして、いやはやみんなガンバってんだなぁ、と感銘したりして。
また、トンとすっかり忘れていた往時のことなど、まさにいもづる式に色々思い出し、一人で赤面したりしながら・・・非常に愉しい時間を過ごす事が出来ました。


冒頭に書いたとおり、ワタシは極めてシンプルな思考回路の持ち主であるので、社交辞令とかそういうものは一切考えず且つ認めません。
ですので、第二回も近々に開催したいと思っております。

投稿者 kome3 : 00:58

2004年11月20日

小野田寛郎さんにお会いした話。

新聞によりますと、終戦後約30年間、フィリピン・ルバング島のジャングルで潜伏生活を続けた元陸軍少尉の小野田寛郎さん(82)の帰還30年を祝う式典が19日、都内のホテルであった、とのことです。

これで思い出した。当サイト管理人は小野田さんにお会いしたことがあったのでした。

当サイト管理人は、今はこんな仕事をしておりますが、その前は都内某CATV局でもって、さまざまないわゆる「TV番組」の撮影・編集etcをする職にありました。
で、あれはもう5、6年前になるでしょうか、小野田さんと、フィリピンはルバング島に潜伏していた小野田さんにメディアの人間として初めて会ったカメラマンと新聞記者の3人による鼎談、というイベントがありまして、これの取材をしたんです。
会場は青森の某牧場で、当サイト管理人は小野田さんと2泊3日、文字通り「寝食を共にした」わけです。

初めてお会いしたのはこの件に関する打ち合わせ時でした。
築地本願寺内の喫茶店に、約束よりやや早めに小野田さんはいらっしゃいまして、約束より長時間に渡って色々お話を伺ったのですが、当時70歳代後半だったはずの小野田さんの、矍鑠としたその立ち振る舞い、明瞭・論理的なお話には、強烈な「威厳」というものを感じずにはいられませんでした。

でもってこの小野田さんの「威厳」には、その後の2泊3日の帯同中ずっと触れることが出来まして、どこに行っても、誰にあっても、またどんな話の最中であっても、常に小野田さんの背筋は伸び、視線は相手を柔和に見据え、どんなことでも完結明瞭に話される。
単純に、純粋に、尊敬の念を抱いたものです。
・・・人格に打たれる、というのはこういうことか、と思ったです。

小野田さんは陸軍中野学校出身とのことで、いわば超エリート軍人だったわけです。
高度な教育を受け、咀嚼し、その結果としてランボー以上の能力をもって、戦地に赴いた、と。
ルバング島で8/15を迎えるわけですが、上官の命令無しに持ち場を離れることは出来ない、ということで、その後30年に渡ってジャングル内に留まり、最後まで「戦争」を続けておられたのでした。
そんな小野田さんと相対するに当って、まず注意を受けたのは、
「ルバング島ではどんな生活なさってたんですか?」
という質問はNG、ということでした。
NGというか、この質問は無意味だそうで、つまり小野田さんには、ルバング島において「生活」というものは無かった、という次第だそうです。だから小野田さんとしても答え様がない、というわけです。
そこにあったのは「戦闘」であって、決して「生活」があったわけではなかった・・・よくもまぁそんな苛烈な状況で30年以上も・・・と思うのですが、それが出来てしまうのが「陸軍中野学校」出身者である、ということなんでしょう。

バリバリのエリート軍人で、おそらく現在、日本で一番「修羅場」をくぐった人であるはずの小野田さんですが、実物は非常に柔和な方でした。
柔和でありつつ、強烈な威厳に満ちている、このことは稀有なことだと思うのですが、考えたら究極的に稀有な経験を経て現在あられるわけで、それも道理です。

期間30周年を祝う式典の報道によって、ワタシがお会いした当時とまったくお変わりないそのお姿を見、ただただお慶びするばかりです。
ただ、ひとつ小野田さんにお願いがあるとしたら、最近、小野田さんらが文字通り命をかけて守った(守ろうとした)この国に、なんか「ニート」とかいうアホなヤツらが発生し、なんでもかんでも環境のせいにして税金も納めずブラブラしてたりするので、カツを入れてあげて欲しい、ということです。
そういう意味でも、小野田さんには、まだ現役としてガンバって頂きたい、と、勝手に思っております。
小野田さんの活躍の場が残ってる、というか、この国には小野田さんみたいな「お年より」が必要だ、と思っています。

こういう言い方は失礼ですが、今の小野田さんは、いわゆる「やさしいおじいさん」です。
ですが、2、3言でも会話すると、こちらの背筋もシャンと伸びます。
公演なども時たまなさっておられるようですが、ぜひ一度行ったらいいですよ。
得るものがたくさんあるはずです。

現在当ページ管理人は小野田さんにお会いした数年後、いわゆる脱サラというのか、こんな会社を興して現在に至ってます。

サラリーマン時代と比べると、そりゃキツいことも多いですが、そんなときは凛とした小野田さんの姿を思い出して、ガンバろう!、とオノレを奮い立たせてます。

 

投稿者 kome3 : 00:22

2004年11月18日

旧友再会その2・・・観劇記。

画像は無断使用です。ごめんなさい。問題があったら即外します・・・11月3日に書いた分の続編といえば続編です。
恥ずかしきことのみ多き我が大学時代に対して、そうでなく、掛け値無しにリッパだった同級生達。
彼らはそのリッパさゆえに、卒業後10有余年が経過した現在でも、志そのままに活躍しておられる。

はしもとゆかさんもその一人です。3日にここに書いたH氏同様、少なくともワタシの見る・知る限りにおいて、彼女は(「彼女」などと呼称するのもオコガマしいですが)「頭ひとつ抜き出た存在」の一人でした。
凹側に頭ひとつヘコんでたワタシにとっては、いわば雲の上の存在でしたよホントに。
※左の画像は、今回観てきた演劇のものです。無断使用ですすいません。問題があったら即外します。

3日に書いたようなH氏との「奇妙な再会」を縁に、彼女とも(オコガましいのは承知で、便宜上今後ここでは「彼女」と呼称させて頂きます)H氏のサイト上のBBSでもって、10有余年ぶり・・・いや、在学時代は確か一度も口をきいたこともなかったので、事実上「はじめまして」である交流を果たしておったわけなのですが、今日はその彼女の舞台公演を観に行ってまいりました。

クドいようですがなにしろ私の大学生活は恥多きものでしたので、会場で大学時代の同級生に会ったりしやしないか、大げさでなく戦々恐々としてたりしたんですが、知った顔をチラホラ見かけたものの、後ろ指さされるような事も、在学中の不義理等によって怒鳴られたり怒られたりすることも幸いにして無く、無事最後まで観劇でき、現在ある意味ホッとしながらこれを書いてます。

ホッとしてるのと同時に、・・・いやぁ、「演劇」というのも悪くないもんです。現在堪能した後の満足感に包まれておりますです。

私は、これもクドいですが、映像制作の仕事もしておりまして、いわゆる舞台演劇の収録~ビデオ化の仕事も、そりゃもう数限りなくしてるのですが、今回は完全に仕事抜き、純粋に舞台で起こるモロモロetcを楽しむことが出来た・・・まずこのことからしてが新鮮な体験でした。
肉眼で、純粋に舞台を観る、ということが非常に珍しいことだったりしたわけですが、いや、ホント、面白かった。
「演劇」についてはワタシはまるっきり門外漢ですので詳しい批評・評論などは出来ませんが、舞台のイイとこってのは、なにしろ「生身の人間が目前で演ってくれる」って部分ですね。
仕事上、カメラを一旦通したモノを楽しむ・楽しんでもらう、ということには慣れてるのですが、このライブ感は麻薬的なものがあります。
どんなメディアも、「事実」だとか「生」のものには、本質的にかなわないのかもしれませんですね。

さて、いわゆる「知り合いが出てる公演に行く」という行為を遂行するに当って、なにか注意点などはあるのか無いのか、あるとしたらどんなことなのか・・・そういう一種の作法について皆目見当がつかなかったので、今回やはり俳優として演劇活動しているT2T2氏にいろいろ指南してもらいました。

Q.チケットは、こういう場合、はしもとさんから購入するべき?
A.いや、ボクの知り合いがそこ(の劇団)の関係者なんで、工面しときますよ~。

Q.でも、それではしもとさんに対して礼を失することにはなりはすまいか・・・?
A.だいじょぶですよ~。あ、でも、気にされるんなら、差し入れでもしたらどースか~?

Q.差し入れとは?おサケでも買っていくのがいいのかな・・・?
A.ヤだなぁ、地鎮祭じゃないんスから~。・・・そースね~、栄養ドリンクなんかイイと思いますよ~

Q.ところで、キミはこの日はヒマなの?ヒマなら一緒に行っておくれよ。
A.あ~、いいっスよ~。じゃ2枚工面しちゃいます~

・・・こんな会話の末、T2T2氏と、いざ紀伊国屋ホールまで赴いたのでした。

同級生が卒業後かなりの時間を経た末に活躍してる様を観る、というのは、なんだか面白い感覚でした。
もっと微妙な嫉妬心なんかも出てくるかと思ったのですが、それはゼンゼン無かったです。
むしろ想像以上に、純粋に応援する気持ち、という感じでした。
実際はワタシの応援など無用で、舞台上の彼女は非常に・・・そう、カッコいい、って感じでした。
考えてみると、知り合いであるかどうかに関わらず、またそのジャンル等に関わらず、活躍してる人、また、ガンバってる人、というのは、総じて皆さんカッコいいもんですね。
彼女はその両方の意味から輝いておられましたよ。

2時間を越える上演時間でしたが、その長さを感じることもなくアッという間に終演を迎え、帰りの車の中。
T2T2氏と、今観たモロモロについて話したりしつついたのですが、そこに見慣れないナンバーからの着信がありまして、出てみると、今演技を終えられたばかりのはしもとさんでした。
同級生として、広い意味で「知り合って」以来現在まででまもなく20年が経過しようとしてるわけですが、これが初めての会話です。
「もしもし?○○○○?」(「○○○○」は、ワタシの大学時代のアダ名です。これが最もハズカしい。)
・・・ワタシの拙く且つセコい差し入れ、及び、観劇に対して、公演が終わったばかりでお忙しくまたお疲れであるにも関わらず、お礼の電話をしてくれたわけです。これがその記念すべき第一声でした。

感激でしたね。
で、同時に、またあの恥ずかしくそれゆえに忌まわしい、しかしちょっとだけ甘酸っぱかったりする大学時代の記憶が甦ってきたりしましてね。
感想を聞かれてるのに、いや~とても良く観える席でしたよ、とか、なんだかワケワカラン返答しちゃったり、さながら思春期入り口の中学生のような精神状態に回帰してしまいました。36歳なんですけどね。

舞台公演が終わったら、H氏のオゴりで焼肉食いに行こう!ということで、電話は終わりました。
・・・かくして、はしもとさんと、H氏・・・Higuchinsky氏と、ワタシとで、近く焼肉会談(?)を行うことになった次第です。

私的に、大学時代の象徴は吉田拓郎なのですが、拓郎の唄に「僕の人生の今は何章目くらいだろう」というのがあります。
ウルフルズ?の曲らしいんですが、拓郎のアルバムに(も)所蔵です。
いやホント、オレの人生の今は何章目くらいなんだろうか。
大学時代は、みんなほぼ同じ章段落だったと思う。
卒業後、何章も進めたヤツもいれば、相変わらずのヤツもいることと思います。
進んでるから、また進んでないから良いとか悪いとか、そういうことは無いんだと思うのですが、なにしろ良かれ悪しかれあの当時とは違った我々がいるわけです。
さて、どんなになっちゃってるんだろう。・・・焼肉会談を楽しみに待ってるワタシがいます。


追記。
今回いろいろ助けて(?)くれたT2T2氏も、ついこないだ公演を終えたとことでして、その公演「ジーザス・クライスト・レディオ・スター」、これがまた、ちょっとヤバいくらいに面白いものでした。
彼もまた、上記の意味でもって「カッコいい」一人です。

投稿者 kome3 : 02:06

2004年11月03日

旧友再会・・・我が恥多き大学時代を回想しつつ。

吉田拓郎の作品に「旧友再会フォーエバーヤング」というのがあります。
拓郎、頭ヘンすぎ。「ForeverYoung」だとこれはB・ディランの作品になりますが、拓郎もかつては和製ディランなどと呼ばれてた時期もあった・・・らしいです。「らしい」というのは、1968年生まれの管理人にとって拓郎の「フォーク界のプリンス」だった時代はリアルタイムではないのでよく知らないし、同じ理由で、よく知ってるなどと言っちゃうのは非常におこがましい行為のように思えるからです。

決してリアルタイムで「拓郎フォーク人気全盛期」を知ってるわけでもないのに、管理人はかつて拓郎に強烈に、思いっきり、全身全霊でハマってた時期があります。

・・・人間は生まれてから死ぬまで、できればまんべんなく誉められ、まんべんなく持ち上げられ、同時にまんべんなく恥をかいて過ごしていきたい・・・それが最もヘイワな生き方だと思うのですが、思い返すと管理人は小~高校まで、比較的「恥」の少ない人生を送ってまいりました。
「恥」を「恥」として認識できるほど賢くなかった、ってとこだと思われるのですが、なにしろあんまり「恥をかいた」記憶が無いです。
で、その分の「つけ」をまとめて払ったのが大学時代でした。
本来大学生活の4年間で支払うべき分に加え、小~高校時代の分もまとめてこの時期に返済したような気がします。
なにしろ大学時代、管理人は毎日毎日恥ばかりかいてたような気がします。

管理人が最も拓郎にハマってたのが正にこの大学時代でした。
ですので、今でも拓郎の各アルバムをなんかの拍子でつい聴いちゃったりすると、あのイマワしい大学時代の事どもが胸中にやおらよみがえり、「アナがあったら入りたい」とかそんな言葉じゃ言い表せない程の陰鬱な気持ちになります。
実際、今回このエントリーとして駄文をモノしてる間も、最初の一行目を書いた段階から今まで、実にイヤ~な気持ちでいます。
(具体的にどんな「恥」だったのかは書きません。墓場まで持っていく所存です。)
なにしろそんなわけで、管理人は出来るだけ拓郎を避け、当然ながら大学時代の事どもからも目をそむけ、して現在まで来ています。

今回、上のような駄文をダラダラ記しかというと、今日(もう「昨日」だけども)、大学時代の友人から突然電話が来たんです。

今日ワタシは、昨日(もう「おととい」ですが)書いたエロビデオ制作会社で仕事してまして、電話をもらったときは丁度男優のチ○コと女優の○○○にモザイクを入れるという極めて高尚な仕事をしてる最中だったのですが、携帯に見慣れない番号からの着信を確認、出てみると、そいつだった、というわけです。
電話に出て、彼が名乗った刹那から、・・・「走馬灯」など実物見たことありませんが、おそらくそれのように、ワタシの脳裏には、あのイマワシい、恥多き時代のあれこれが駆け巡りました。

彼・・・H氏は、当時からワタシも含めた周囲と比べ、頭ひとつ抜け出た存在でした。
才能と、それを具現化するだけの行動力。
ワタシはめったに他人の才能や業績に嫉妬したりしないのですが、彼のモロモロはそれに値するものだと思います。
彼がなんか映画つくるってんで、ワタシもなんどか家に行ったり、あれこれ手伝い(ジャマ)しに行ったりしたもんです。

この不況下、ワタシも彼も、どうにか初志貫徹、映像の世界で食っていけてます(いまのところ)。
ワタシの方は、大学時代に卒業後の分もいくらか「貯金」してたのか、最近はあれほど恥もかかなくなりました。
彼はワタシの何倍も活躍しておられる様子です。

これが大学卒業後数年、なんていう時期ですと恥の記憶も生々しく、とてもメールなど出す気になれないと思うのですが、考えたらあれからもう16年?17年?それくらいの時間が経過しています。

もう「恥」も時効かな、ということで、これから彼にメール出そうかな、と思ってるところです。
追記。

明日にでも、昨日書いたS・Mさんや、男優さんのことでも書こうかな、と思っております。

投稿者 kome3 : 03:54