2007年01月19日
日々雑感。
いきなりですが、アート・バックウォルド氏が亡くなったそうです。
当サイト管理人はいわゆる「翻訳モノ」ってのはほとんど読まないのですが、氏とボブ・グリーン作品だけは例外で、濫読してた時期があります。
読まない・避けてる(?)理由は、なにしろ翻訳者を信用しない、という事だったりするのですが、この両氏の作品の訳者氏は例外的に信じられるというか、元文のエッセンスをちゃんと伝えてくれてる・・・ような気がします。少なくとも私にそう思わせるだけの力量がある、と。
閑話休題。
以下は、この年末年始における、当サイト管理人の「雑感」です。
一部、限りなく私信に近い内容もありますが、それはそれで。
■年末年始、「机上風景」様の忘年会・新年会に参加しました。
新年会において、しゃべりかけたタイミングで店員が会場個室に来てしまい、中途半端で終わった話がありまして、どうにも気持ち悪いのでここに書きます。
その1。
「乾かせないもの」のユチカがハナ肇のキャラとカブる、というのは、これだけだとちょっと不正確で、なにも新春かくし芸大会のブロンズ像やクレージーのバンマス像と似てるとか言ってるわけではなく、あくまでも山田洋次監督諸作品の中においてハナ氏が演じているキャラクターのあり方に近い、という意味なのであります。
具体的には、「いいかげん馬鹿」「馬鹿が戦車(タンク)でやってくる」「なつかしい風来坊」でのそれであります。
生まれてこの方30余年、いろんな場所で、且ついろんな形態でもって、「自分の意見を述べる」という行為を為してきましたが、これほど誰からの賛同を得られなかった経験は無い。皆無。ゼロ経験値。
でも、ホントにそうなんだから仕方が無いです。
その2。
18歳未満には「インターネット」などに触れさせてはいけない、という事柄については、
http://www.ageof80s.com/mt/archives/000014.html
ここに詳しく書きました。
最近ではさらに、もう18歳未満はTVも観ちゃダメなんじゃないか、と思ったりしてます。
■中学時代の同級生らと、忘新年会に参加しました。
2次会はカラオケBOXだったのですが、・・・あのね、カラオケで「メドレー」はいけません。ダメね。長いからね。
また、特に「ビートルズメドレー」はいけません。ギターソロが長すぎる。
■当blogの設置してあるサーバの管理会社から、CGIが暴走している旨の連絡が来ました。
しかし、別にループしてたりするはずもなく、なんでかしら?と調べて見ましたら、当blog、新年のある日1日のアクセス数が、24時間で数万ありました。
さらに調べてみると、みんな某芸能人及び某有名人氏の名前で検索して来た人でした。
サーバが飛ぶほどのアクセスってスゴいなぁ、と思いましたが、考えたら単にサーバがショッパいだけかも。
■亀田長男が、L・フライ級の王座を返上したそうです。
かくして彼は、その階級の世界王者でありながら、ナチュラルなL・フライ級の選手と全く戦わないまま王者生活を終える、という次第になったわけです。
・・・非常に不自然であることだけは間違いないですが、とにかく亀田にはガンバって欲しいと思います。ホントに。
■アケボノ選手は昨年大晦日、またもは敗北。ジャイアント・シルバ選手のアームロックにあえなくタップしてしまったとのこと。
秋山選手のヌルヌル事件といい、もうね、K-1もHERO'SもDyamite!!も、もう止めた方がいいんじゃないか?と思う次第です。
近々、あの辰吉と対戦歴のあるシリモンコン・シンワンチャーもK-1に出場するらしいです。
先だっての大晦日には鈴木悟も出たとか。
・・・もう何度もここに書いてますが、他競技を「体力の限界」もしくは「継続が難しいほどの怪我」などによって引退した選手が当たり前のように出場するこの興行達、いったいなんなんでしょうか。
柔道を引退したルスカやヘーシング、アレンが出てきたり、相撲を辞めた輪島や北尾が出場してきた「プロレス」と、なんにも変わらないじゃないか、と思うのですが、我々は(プロレスとは違って)真剣勝負であるみたいな雰囲気がある分だけよっぽどタチが悪い、と。
■その総合格闘技、秋山選手のヌルヌル事件ですが(っていうか「ヌルヌル事件」と言うネーミングも何とも言えませんが)、あんまし言われて無いようですが、桜庭戦以前の総合格闘技戦でもちょっと怪しい、というか、対戦相手が怪訝そうだったり、もしくはあからさまに抗議してた事があったような気がします。
無期限出場停止なんだそうですが、無期懲役は決して終身刑ではないですからね。
カムバックはタイミング待ちで、という感じなのでしょうか。
あと、なんか右手にメリケンサックはめてた、ってな話があるみたいですが、写真をみる限り、あれはバンテージっぽい気がしますがどーでしょうか。
■今始まったことでは無いですが、取材・撮影したりWeb作ったりの仕事をしてますと、その当該物への執着が、いつしか興味・関心になり、果ては往々にして「好意」みたいなものに変質したりします。
馬に乗ってみたいし、最近はエアガン射撃をやってみたかったり、若しくは精密競技場エアガンを買ってしまいたくなってたり、またフットサルという競技にも少々「関心」があったり、あとまた不動産という「ジャンル」に「興味」があったりしてます。
そういえば古事記・日本書紀をガツガツ読んだのは某神社でいわゆる「神楽」の取材をしたからだったし、ポツポツとプロレスを観戦etcするようになったのは、当時新日本プロレス所属だった小島聡選手の取材をしたのがきっかけでした。
でもって、当サイト管理人は、なんであれ「飽きる」という段階に達するまでの期間が普通の人の倍くらい所要する=要するに何やってもなかなか飽きない、という傾向がありまして、その結果、仕事とは別に「やんなきゃいけない(気がすまない)事」というのが日々増える一方だったりします。
かつて、生前の遠藤周作氏がそういう感じだったそうで、そういえば氏はやれ劇団をやったり、TVやCM出てみたり、諸々常に大忙しだった由。
で、そういう氏に対して北杜夫氏は「悪性の躁病」と言ったりしてました。
当サイト管理人も、もしかしたらちょっとそういう傾向があるかも知れない。
■正月早々、なんか妹を木刀で殴る&フロで溺死させてバラバラにして乳房と下腹部を切り取って内臓をタッパーに入れて保管して自分は予備校の合宿に行き、さらに合宿にその妹のパンツを持っていった、などという事件があった由。
「異常な猟奇殺人」としか言い様が無いですが、これを「異常だ」ってこと(だけ)で括ってオシマイにしてしまうのは非常に危険で、実際この犯人はとりあえず現代医学の範疇においての精神障害etcがあったりするわけではない(らしい)ので、ここはあえて「異常で無い犯人がなぜここまで為しえたか」って切り口で考え、議論しなければいけない・意味が無い・・・と、かつて佐瀬稔氏が著作に書いてました。
金属バットで両親を殺害した浪人生、足立で女子高生を拉致して「なぶり殺し」にした数名、同級生をカッターナイフで殺した女子小学生・・・みんな、やっぱちょっとアタマおかしかったんじゃん?ってな事で括ってしまえば、ラクだし、ぶっちゃけワレワレ(アタマおかしくない人)も安心できたりするんですが、決して彼らはいわゆる「異常者」ではなく、にも関わらずこういう「異常な」行為に至った・・・これこそが何よりの問題なわけですね。
もしかしたら、誰でもこういう事をしちゃうかもしんないわけですよ。
・・・この他、例えば「雨あがる」「たそがれ清兵衛」「トラック野郎シリーズ各編」を観た、とか、いろいろあるっちゃあるんですが、それはまた追って。
投稿者 kome3 : 13:17
2005年10月07日
沖縄よ!
実にいろいろな理由によりまして、今日は沖縄・オキナワのことばかり考えて一日過ごしました。
オキナワ・・・嗚呼、我が心のフルサトよ。
かつては大げさでなく隔月くらいのペースで訪沖してたもんですが、ここんとこ起業したりして多忙だったりした為ついぞご無沙汰になってしまってました。
こう長い事行かないでいると、沖縄病も極まれり、で、もうダメ、死にそうです。
以前、オキナワでもってキジムナーに遭遇した話をここに書きました。
詳しくは2004年11月23日付の投稿をご参照頂きたいのですが・・・思い出した。当サイト管理人は、もう一回キジムナーと遭遇した経験がありました。
あれは前回記した時期と同じ、例によってウス汚いバッグひとつで本島内を放浪というか徘徊してた頃・・・それでもレンタカーを使う事を覚えた、比較的最近、後期の話です。
国道58号線をどこまでもひたすら北上しますと、やがて名護を越え、辺戸岬で知られる辺戸名界隈を越え、その名もズバリの「奥」という集落?に着きます。
ここが58号線の県内最北端。「県内」というのは、海を渡った鹿児島県にも58号線は続いているんですよね。国道というものは少なくとも2つ以上の都道府県にまたがってないといけないのだそうで、58(ごっぱち)が国道であるためには、海を渡って繋がってなくてはならない、というわけです・・・別にどうしても「58」が「国道」でなきゃならない理由も無いだろうと思うのですが、そんなことはこの際どうでもよく、とにかくこの時、私はこの「奥」におりました。
・・・そう、確か、2005年05月21日付で記しました「花の森」で散々飲み食いetcした後でした。
夜も深まったところで場もおひらきになったものの、私一人まだテンションも納まらず、半ば衝動的に那覇のホテルとは逆方向、北へ北へと車を走らせたのでした。
で、車は必然的に「奥」に到着。
・・・この「奥」というところは、まぁなんというか、見事になんにも無いところで、行くたびに明らかな時間の流れの違いにボーゼンとなってしまうようなところです。
私はその別世界感が好きで、毎回訪沖のたびになんの用も無いのにただ行って、唯一(?)ある共同売店で多少の買い物だけして帰る、ということを繰り返しているのですが、このときはなにしろ夜中なもんでそんな買い物も叶わず、といって那覇まで帰るにはその道のり(約120km)を考えるとそれだけでグッタリ、ってな次第で、その場で車中泊することにしたのでした。
ラジオ聴くのにも疲れて、いつのまにかウトウトしてたその時、運転席側のウインドウを誰かにノックされました。
トントントン!と。
・・・こりゃビックリしますよ。
このあたりでは、私は昼間でも共同売店以外で人に会ったこと無いんです。
それが、時計を見るとAM4:30。繰り返しますがあたりは真っ暗。
そんな状況下で誰かが私の車のウインドウをノックする。
ハッ!として見ますと、原付スクーターに乗った、若い男でした。
仰天している私を尻目に、彼は何度も何度も窓を叩き、開けろ、開けろ、というしぐさをします。
大げさでなく恐怖におびえつつ窓を開けました。
すると、彼は言いました。
「夜分すいません・・・あのー、那覇はどっちですか?」
・・・綺麗な標準語でした。Tシャツにナップザックという、極めて軽装な彼。
この真夜中、しかもこの「奥」でもって、那覇はどっちですかもクソも無いもんだ。
それまで恐怖におびえてた反動もあって、私は幾分つっけんどんに、今お前さんが来た方向が那覇だよ、と答えました。
すると青年は
「あー、そうでしたかー。有り難うございますー」
と、
実にさわやかに、もと来た道を去っていきました。
??なんなんだコイツは?と、非常にフシギな気持ちでもって彼を見送りました。
・・・わかりますか?那覇からこの「奥」まで、約120km。ここは真っ暗な、ジャングルのはざまです。
そんなところで、しかもAM4時過ぎに、原付・・・大排気量バイクでも車でもなく、原付と遭遇する。
しかもしかも、那覇はどっちだ・・・って、ここは「58」の北端で、前か後ろにいくしか道はなく、またどっちに行っても結局絶対那覇には着くんです。
っていうか、この時間に彼はなぜ那覇に?大体どこから来たの?
・・・もうね、いろんな謎や疑問が脳内でウズ巻きましたよ。
で、思ったんです。
ああ、彼はキジムナーだったんだな、と。
投稿者 kome3 : 22:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月21日
焼肉をまた食った、というところから沖縄話へ(珍しく写真・動画付)。
19日、higuchinsky氏、はしもとゆか氏、そして両氏と同様、当サイト管理人の大学時代の同級生であるyayoi氏と、なぜか中学時代の友人である高木登氏と、ワタクシ、という、接点のよくわからない5名でもって焼肉を食いに行きました。
その内容については上記各位のサイト中の「日記」等を参照されたいのですが、要するにワタシがホームラン級のバカチンだった大学時代と、さらにもっとバカチンだった中学時代の、それぞれの時期におけるワタシ及びワタシの周辺にいたバカチンたちとによる、極めて劣悪かつ醜悪でバカチンなエピソードを、ワタシが例によって調子に乗って喋りまくった、という体裁でした。
もう反省する気にもなれません。
(カーズは)
2度と地球へは戻れなかった…。
鉱物と生物の中間の生命体となり
永遠に宇宙空間をさまようのだ。
そして死にたいと思っても死ねないので
―そのうちカーズは考えるのをやめた。
・・・これにならって、ワタシももう反省するのを止めようかと思っております。開き直るという意味では無く。
さて、我々が焼肉食ってるそのさなか(時差はあるけど)、沖縄の伝説的バンドである「紫」のボーカルの人が、県内のスーパーで食料品700円相当を盗んでタイホされてしまいました。
いったい何やってんでしょうか。っていうか、なにがあったんでしょうか。盗んだのが「海ぶどう¥700」。
「ステイウィズミー」は名曲でしたが・・・これで3回目のタイホだそうです。
いくら沖縄が「テーゲー」だからと言って、窃盗はいけません。いけません、が、なんで海ぶどうを盗むようなことになってしまったんでしょうか。確かライブハウス経営などされてたはずなんですが。
沖縄といえば、前出のはしもとさんは、先般バイオリンを購入されたそうです。
ヒグチン氏の「なんでバイオリン?」という問いに対し、彼女は「いや、前から欲しかったから」と、答えておられました。
私もほぼ同様の理由で、以前沖縄で「三線(さんしん)」を購入したことがありました。
前から欲しかったんで。
何回目かの沖縄行の際、あれは中部は石川という市内、これも例によって道に迷い、住宅街中を徘徊しておりました。
赤い屋根の連なる街中。ビルなぞ無いので、青空がやたら広かった覚えがあります。
酷暑の時期だったので、通りを行く人影も無く、ただただセミの鳴き声のみ聞こえる、静かな住宅街でした。
あの時の情景の記憶はおそらく生涯消えることがありません。遠くから、ふと、そして突然聞こえてきた三線の音色。
音にひかれて歩いていくと、とある家の縁側で、木の幹のような肌のジイサンが、三線を奏でておられました。
いかにもヒマつぶしなその風情に打たれました。
こういうイキなヒマつぶしができるようになって、初めて一人前なのではなかろうか、と。
楽器には、相応しい風景というか季節があるように思います。例えば津軽三味線には厳冬の、吹雪く風中、ハーモニカには薄の野、トランペットには夕焼け、などが(私的には)「いとをかし」です。
で、沖縄の三線には、直射日光が良く似合う。
三線の第一人者である故嘉手刈林昌氏も、生まれてからずっと日なたで育ったみたいな風体でらっしゃいました。
節くれだった指と、真っ黒でシワだらけの顔と、その奥に全てを達観しちゃったみたいな鋭い眼。
アコガレのジイサンの一人でありました。
そんなわけで、欲しかった三線、昨年(一昨年だったかも)の夏に一念発起して購入しました。
沖縄の北部に、名護という町があります。
沖縄高速道の北の終点、許田というインターを出て、さらに北上すると、やがて名護市街地に出ます。
ここからさらに北上すると、仲尾次というところに出まして、そのほど近くに、花の森、というところがあります。
花の森は、1996年6月、当時中学生だった女の子が、誘拐されて殺された、という事件をきっかけに作られた「施設」です。
小高い丘の上に、地域住民の皆さんの手作りによる豪奢な小屋がありまして、ここが地域の一種の寄り合い場になってます。
発起人である運営者でもあるのは「子供たちを守る会」の皆さんで、地域パトロールや、この小屋での各種相談、毎日行われているという、泡盛etcを囲んでの「会合」、また、あえて名前は伏せますがチョー有名なバンドのリーダー氏も関わっておられる関係もあってか、最近は敷地内にライブハウスというかスタジオも作られまして、地元のアマチュアバンドにも解放してたりするそうです。
さらに、喜納昌吉氏も関わっておられるそうで、「守る会」の皆さんらによって結成された「花バンド」は氏のスタジオでもってレコーディング、CDんも出されています(私も何枚か持ってます)。
花の森についてはそのうち詳しくご紹介するとして、私はここの・・・肩書きはわからないのですが、とにかく一番エラい責任者の方の娘さんと友達で、訪沖するたびにこの「花の森」に、色んな面でお世話になってる次第です。
で、昨年だったかに訪沖した際、この「花バンド」の皆さんに、三線の弾き方を多少習ったりしたんです。
もう既に三線は購入済みだったのですが、恐れ多くてそのことは伏せてまして、でも、とにかく習いたかったので、花の森にあるやつで教わりました。
しかし・・・ホントのところはどうだかわかりませんが、思うにこの楽器には基本的に弾き方のハウツーといったものは無いらしく、教える方も「ちょうどいい具合のところ(の弦)を押さえて、いい感じだなぁ、っていう力加減ではじくわけさー」とかいう感じで、結局ゼンゼンダメ、まるで思うように弾けず(当たり前ですが)、あえなく挫折したのでした。
※「花の森」について、2年位前、某情報サイトの取材でお邪魔したのですが、その時の映像が出てきました。
http://www.ageof80s.com/band2.rm
こちら、「花バンド」の皆さんの演奏風景で、
http://www.ageof80s.com/mori2.rm
こちら、「花の森」の、夜の風景です。
どちらもリアルメディアです。ストリーミングではないですが、2、3メガくらいなのでお気軽に観てみて下さい。
・・・なにしろ、チーとも弾けずに現在に至ってるのでした。
オレのやるとおりにやってみればイイサー、とおっしゃって、目の前で弾いてもらったのですが、いわゆる早弾きってやつで、とてもじゃないが出来まへんでした。
三線っていうのは、マムシの革(皮?)で作るんだそうです。ハブじゃないので。
で、この皮(革?)、当然ながら湿度etcによって影響を受けるそうで、もしかしたら東京じゃチャンとした音が出ないのかもしれません。
そういえば、ゴーヤーチャンプルー(「ゴーヤチャンプル」と発声し表記する人が多いですが「ゴーヤーチャンプルー」が正しい・・・らしい)も、沖縄で食べると、間違いなく東京でよりウマいです。
シークワーサーも、東京で飲むそのジュースも沖縄のも、どちらも果汁100パーセントであっても、これは気分の問題ではなく、具体的に味が違います。
その土地のモノゴトはその土地でやるがよろっし、ということですかね。
ワタシは挫折しましたが、はしもとさんはそんなことのないよう、ハゲんで頂きたいと思います。
投稿者 kome3 : 21:05 | コメント (0) | トラックバック
2004年12月21日
旧友再会その3・・・再会果たす。
当サイト管理人のノーミソは非常にシンプルなので、聞き上手な人に相対すると際限なく話しつづけてしまいます。
同時に、なんというか、直線的な思考回路というか、太く長い一本道のような、札幌駅前のような筋で物事を考えるので、あるきっかけを得るとイモヅル式に色んな事を思い出し、より一層話がとめどもなく続くことになります。
これらの条件がバッチシと揃う事はメッタにないのですが、昨晩はその稀有な機会でした。
11月3日、18日にも書きました、はしもとゆかさんとhiguchinsky氏と、ようやく再会する機会が得られました。
話上手で、なにより聞き上手なお二人との再会は、久々に心から楽しいものでした。
○年ぶりに誰かと再会する、という機会自体、人生においてそうそう有ることではありません。
ましてや、。我々はナンだカンだと16年ぶりくらいにはなります。
今までここで何度も何度も書いてますが、我が学生時代、特に大学時代は、もはや太宰並に恥ずかしきことのみ多きもので、本来なら再会し往時を懐かしむなんてことが許されるわけもないのですが、こうして16年ぶりに再会し、語らうことが出来る・・・このことはワタシなどにとっては有る意味僥倖でもあります。
そういう貴重な機会の舞台としてワタシの選んだ、且つ推し進めたのが、我が地元の焼肉屋。
皆さん、高田馬場だとか都立大にお住まいだというのに、集合場所が我が地元。ウチの近所の焼肉屋。
しかも今回は、有る意味強引な展開によってHiguchinsky氏のオゴリにより執り行われる次第になったというのに、会場は、ぶっちゃけなんの変哲も無い、ただワタシが長年おなじみにしてるというだけで勝手に選んだ、近所の焼肉屋。
・・・この傍若無人なワガママっぷりというか自分勝手っぷりには我ながら呆れます。逆の立場だったらキれます。
しかも、これだけでも充分とんでもない非常識であるにも関わらず、快くそれらを受け入れ、しかも店の最寄にまで出向いてくれたはしもとさんは
「やぁ、ドンちゃん、ひさしぶり~!」
と、明るく且つやさしく挨拶してくれたにも関わらず、それに対するワタシの返答=16年ぶりに再会する相手に対する第一声は、下記のようなものでした。
“いや、ひさしぶり、っていうけどさ、我々大学時代、多分ひとことも話した事ないですよね”
いや、もうね、こんな非常識なヤツはいませんですよ。
失礼にも程があります。限度ってものがある。っていうかバカですね。
決して悪気はなく、実際はしもとさんはワタシにとってある種「雲の上の存在」だったりしたので、極めてロクデナシだったワタシが話す機会などあるわきゃなかったわけですが、もはやそういう問題ではない。
逆の立場だったらその場でパンチです。グーパンチ。
しかもこの非礼に気付いたのが、ついさっき。
それまでワタシはヘラヘラと勝手なことを話とばし、勝手に楽しんで帰宅し、何事も無かったかのように眠り、目覚め、仕事し、先ほど帰宅した次第です。
帰宅し、はしもとさん、Higuchinsky氏のサイトの「日記」を拝見拝読し、“ああ、オレサマが出てる!”などと、勝手に照れたりしまして、その後ようやく気付いた次第で、24時間以上この非礼に気付きませんでした。
きっとワタシは、学生時代に縁あった人たちには、徹頭徹尾、死ぬまで非礼を続けていく運命なのかもしれません(絶縁されなければの話ですが)。
そんな極めて非常識な非礼にも関わらず、はしもとさんもHiguchinsky氏との「焼肉を喰う会」は、この上なく楽しいものでした。
この際ですので(?)、失礼ついでに書いちゃいますが、なにしろ16年もの年月を経て、みんなどれだけ老けてるか、どんなジジィババァになってるか、などと、ちょっとだけ考えないでもなかったのですが、皆さんゼンゼン変わってなかった。
いや、どちらかというと、非常に魅力的な齢の重ね方をされてるご様子でした。
魅力的な、理想的な30歳台像がそこにありました。
MACはどうだか知りませんが、Windowsのマシンは、長い事使ってますと、キャッシュだとかに少しづつチリというか芥が溜まっていき、やがてそれらは動作不良だとかの原因になります。
パソコンの不調を訴える人に、こんな説明をするたびに、ワタシは人生を考えます。
つまり、ニンゲンも、長い事生きていると、心身に知らず知らず様々な芥が蓄積し、「身」の場合それはしばしば成人病(生活習慣病)の要因になり、「心」の場合、それはそのまま、その人の所作からかもし出される「オーラ」となって表出されることになります。
具体的に言うと、その年齢において魅力的な男もしくは女であるか否か、という形で。
パソコンの場合と同じく、バランス良く、且つ深く酸い甘いを味わって年齢を重ねることが出来れば、それらの芥は転じて芳醇な魅力となり、そのままそれはその人の威厳などなどに転じます。
ゆえに、ニンゲンは、上手な年齢の重ね方をしなければいけない。
その時その時の年齢に相応しい人格でありたい・・・などなど。
ただ芥ばかり溜め込んで、イヤなトシの取り方してる人ってのも・・・よく見かけ、会いますが、そういうこっちゃイカンなぁ、と、常々思いますです。
では、具体的にどうすればいいのか、ということになると、これは簡単で、とにかくガンバらなくてはいけないのであります。
再会した両氏とも、それぞれの分野でガンバっておられる。
この度の再会が愉しいものだったのは、みんなが今まさにガンバってる最中だから、かもしれません。
聞き上手なお二人にある意味引きずられ、ワタシは例によって勝手にしゃべりまくりました。
同時に、お二人の話も、感嘆したりしつつ興味深く拝聴いたしましたです。
また、同級生達の現況なども、たくさん、たくさん聞くことが出来まして、いやはやみんなガンバってんだなぁ、と感銘したりして。
また、トンとすっかり忘れていた往時のことなど、まさにいもづる式に色々思い出し、一人で赤面したりしながら・・・非常に愉しい時間を過ごす事が出来ました。
冒頭に書いたとおり、ワタシは極めてシンプルな思考回路の持ち主であるので、社交辞令とかそういうものは一切考えず且つ認めません。
ですので、第二回も近々に開催したいと思っております。
投稿者 kome3 : 00:58
2004年12月03日
ボクサー
「沢木耕太郎氏の全集読みまくり」もそろそろ終盤に入ってまいりました。昨日「深夜特急」を読了、そのまま続けて「一瞬の夏」に入りました。
「一瞬の夏」は、カシアス内藤というボクサーとの「関わり」を綴ったものです。
陳腐な言い方ですが、ある才能あるボクサーの栄光と、限りない挫折の物語、と言えようかと思います。
この作品を読むのは何度目かになるのですが、今回フト思い出しました。
むかーし住んでた家の隣がボクシングジムで、そこには、当時小学校低学年だったワタシにとってちょっと怖い感じの「おにいさん」らがたくさんいたこと。
小学生時代。当時私は江東区南部のとあるアパートに住んでたのですが、隣が世界王者を何人も輩出してる高名なボクシングジムでした。
・・・隠すような話ではなかろうと思うので書いちゃいますが、それは三迫ジムというジムで、当時は世界王者の輪島選手、東洋王者の門田選手といった選手が「看板」だった・・・はずです。
「はず」というのは、当時ワタシはなにしろ小学校低学年、いや、幼稚園だったかな?とにかくそういう年代で、有名な選手がたくさんいるということはわかってたものの、それがボクシング業界的にどんなレベルだったのかまではわかってませんでした。
しかし、時折テレビの取材や、タレントなんかも来たりしてたので、輪島さんや門田さんは有名なんだな、くらいは理解してたような気がします。
そういうトップレベルの選手がいたこともあってか、ジムには若いボクサーたちが大勢いました。
ジムの中は極めて暗く、なんかオッカないオヤジの写真の額が飾ってあったりしまして(今考えるとそれは三迫会長の師匠であるライオン野口の写真だったのかもしれない)、とてもワタシのようなガキがオイソレと近づける雰囲気ではなかったのを覚えてます。
誰もいない時などにコッソリ中をのぞいたりすると、ジム内はトンでもなく汗臭く、なおさら近寄り難かったように記憶しております。
薄暗いは臭いはで、ジム周辺にはあまり近づく事も無かったのですが、唯一比較的気楽に近寄れるところがありまして、そこはどこかというと、ジムの裏になぜかあった、大きなハト小屋。
子供が3、4人入れるくらいの本格的なもので、整然とエサ箱などがレイアウトされ、ハトが10羽くらい飼われてたように思います。
金網越しに、よくボーッとハトを眺めてたりしたもんです。
このハト小屋の管理人(?)は、ジムの中でもとりわけ若いボクサーで、ジム内でもかなり期待されてる選手だったそうです。
前出の門田選手、たまに我が家にチケット売りに来てたりしたらしいんですが、そのたびに
“こいつは強くなります。宜しくお願いします”
と言ってったらしいです。
あれから30年も経ったというのに、我が実家の面々がこういうことをしっかり覚えてるというのは、それがよっぽど熱っぽかったからに相違ありません。
門田選手に、このハト小屋管理人選手、どちらもいわゆる「みなしご」だったそうで、ハト小屋選手は故郷からボストンバッグひとつで上京し、そのまま住み込みで練習してる、とのことでした。
ご本人は非常に無口で、普段はなんとなく影が薄いというか、地味で、色白かつヒョロヒョロな感じの青年でした。
天涯孤独で、10歳台で単身上京し、ボクシングに賭けてる若者・・・いわゆるハングリーボクサーの見本みたいな選手だったみたいです。
夕方、ひとり、小屋の掃除なんかしているこの選手の姿を何度か見かけました。
ずいぶん長い事、このハト小屋は稼動してたのですが、ワタシの学年が増えるにつれて少しづつ寂れ、いつのまにか小屋内はカラッポになり、やがて小屋そのものもいつのまにか無くなってしまいました。
管理人だったその若いボクサーも、いつのまにかその姿を見なくなりました。
そして、ジムもいつのまにかどこかへ引っ越していきました。
さらに我が家も引っ越しまして、その結果、ジムや、選手達、あのハト小屋も、ワタシを含めたホンの数名の記憶の中にのみその存在の痕跡を残している、というのが現況です。
あの管理人のボクサーは、竹森三城といいます。
当時のボクシングマガジンなどをひもときますと、かなり・・・世界王座までもの期待をされてた選手だったみたいです。
ヒョロヒョロで地味な印象しか無いのですが、ファイトスタイルは典型的なブルファイターだったそうで、ちょっと意外な感じがします。
もう50歳代の、いいオッチャンになっておられると思うのですが、どうされているのでしょうか。